「――っ!」
乱れた吐息を飲み込むようにして、ケイスケは飛び起きた。
背中を冷や汗が降りていく感覚に自分の体を抱きしめるようにして押さえ、震える体をなぐさめる。
夢を見るのはいつものこと。しかし、これはこれから先何度同じ夢を見たとしても一生慣れることのない、いや、慣れてしまっては意味がない夢だ。
……これでいいんだ。
ほとんど掠れて音にならない声でケイスケはそう呟いた。そして、自分がうなされたせいで寝ているアキラを起こしてしまっていないかと、隣に感じる温もりに視線を動かす。
よかった――。
顔の半分近く布団に潜り込んだままのアキラは、規則正しい静かな寝息をたてたままだ。それにホッとしながらも、自分の眠気はすっかり飛んでいってしまっていることに苦笑が漏れる。
しばらくそのままベッドの上でアキラの寝顔を見つめていたが、やはり眠気はさえてしまったようだ。
アキラの寝顔……やっぱかわいいなぁ。
その上こうして見ているだけでそんなことばかり考え、当たり前のようにアキラに触れたいと思う衝動がわいてくる。そのためこのままの状態でいるのはそろそろ限界だった。
気分転換でもしてこよう――。
視線の先の安らかな寝顔を起こさないようにそっとベッドから降りると、ケイスケは掛けてあるジャケットを羽織って一人外へと出た。
「さむ……っ」
暦は春であることを告げていても、やはり夜はまだ少し寒さを感じる。さすがに真冬のそれほどではないが、軽く身を縮めながらケイスケが向かった先は、工場の裏手にある大きな桜の木の下だった。
「昼間は楽しかったな……」
そっと幹に触れながら、昨日の昼間工場の皆とやった花見の様子を思い出す。急遽やることになったにしては、満開の桜の華やかさにつられるようにとても盛り上がった。そして、何よりも桜を見るアキラの表情がとても穏やかだったことが、ケイスケにとって一番嬉しいと思えることだった。
でも今は――すごく静かで、それが少しだけ淋しいと感じさせる。
時より吹いてくる風が木や草をを揺らす音は耳に届いてくるが、賑やかだった昼間とはまるで別の場所にいるかのように全てが違って見えた。
「夜はずいぶんと雰囲気が違うんだな」
「そうだね……。って、えっ?」
何気なく聞こえた声に当たり前のように相槌をうってから、ケイスケは声がした方へ驚いた表情を向けた。
「アキラ……あの、わっ」
どうしてここに。と続こうとした言葉を投げられたマフラーに遮られ、驚いた視線だけがアキラをとらえたまま瞬きを繰り返す。
「まだ夜は冷える」
「あ……うん。でも、あの、もしかしなくても俺が起こしちゃった……んだよね。ごめん」
「今日は休みだし別にいいだろ」
「そうだけど……」
いいと言われても、あれだけ気持ち良さそうに眠っていたのを見ていたのだから、やはり悪いという気持ちがわいてきてしまう。しかし、アキラはもうそんなことはどうでもいいと言いたげな様子で、ケイスケの方へと歩いてきた。
「俺さ、昼間の桜も好きだけど、夜の桜が一番好きなんだ」
幹に軽く寄りかかるようにアキラが座ったのを見て、その隣にケイスケも腰を降ろすと、降り続ける花びらを見ながらそう話しはじめる。
ミカサの工場でケイスケが働いていた時、その通り道には桜並木があった。春になると毎年花を咲かせ、その場所を通る人々の目を楽しませていた。いつもはアキラが参加するBl@sterが見たかったため嫌だと思っていた残業も、桜が咲いている時期だけはあまり嫌だと感じなかったのをよく覚えている。
「本当にすぐに散っちゃうんだよね。桜って」
こんなに綺麗なのに、花を咲かせるのは一年に一度。それもほんの少しの間だけだ。
「あの頃さ、桜が咲く度に一回でもいいからアキラと一緒に見てみたいなって思ってたんだ」
「俺と……桜を?」
「うん。アキラは桜を見てどんな風に思うんだろう。どんな顔をするんだろう……って」
そうやって毎年誘おうと思い、今日こそはと意を決する頃にはいつも桜は散っていて、結局毎年誘えなかった。
それがケイスケが全く意識しない今日、しかも二度もかなってしまった。嬉しい反面、いかに自分はタイミングの悪い人間なのかと思い、意図せず苦笑いが浮かぶ。
「でも、昼間アキラが嬉しそうな顔してたのを見たら、俺もすっごく嬉しくなった」
話をしているうちにまたその時の嬉しさが込み上げてきて、にっこりと微笑みながらアキラを見た。
「……そんなに嬉しそうだったのか?」
「うん。だってすごく優しい顔だったよ。桜が羨ましくなっちゃうくらい」
「よく見てるんだな……」
軽い苦笑いが返ってきたため、反射的に、ごめん。と勝手に一人で盛り上がっていたことを謝る。すると、アキラは首を振って、別に嫌だから言ったわけじゃないと表情を緩めた。
「桜は、毎年見てた」
「えっ?」
「ミカサで」
突然そう切り出され、思わず驚きに声をあげる。
「もしかして、それってあの公園の桜?」
近場で桜が咲いていたのは確かそこしかなかったはずだ。そのため反射的に問い返していた。それにアキラは軽く頷いて、でも、見るといっても通りがけに目に入るといった程度のものだった。と付け加える。
「でも、でも、それじゃあ……」
アキラと同じ桜を見ていた。
あまりの驚きに、言葉が続かない。もちろん一緒に見たわけではないが、たとえ自分が知らないところだったとしてもアキラと同じものが見れていたことは、それを望んでいたケイスケにとってはとても嬉しいことだ。
「そっか、そうだったんだ」
喜びに高鳴る鼓動を抑えようとするが、それでも知れたことの嬉しさに顔がにやけてしまう。そんな様子で再び一人舞い上がっているケイスケに、アキラはそんなに嬉しいことなのか? と不思議そうに首を傾げた。
「嬉しいよ、すごく」
素直な気持ちでそう言って、アキラの頬へと手を伸ばす。
「あの時の自分が知ったらきっと倒れるくらい」
「……なんだよそれ」
照れているのかフッと視線をそらされ、ケイスケは笑いながらその手をアキラから離した。
「さてっと、そろそろ戻ろうか」
本当はもう少しこうして夜桜を見ていたかったのだが、さっき触れたアキラの頬がずいぶんと冷えてしまっていたためそう切り出す。それにここに来たのは気分転換が理由だった。まさかアキラが来てくれるとは思ってなかったが、そのおかげでもう十分気持ちの切り替えもできた。
「……ケイスケ」
「なに?」
戻ろうという言葉に頷いて立ち上がったアキラが、歩き出そうとしていたケイスケを呼び止める。その声に振り返ると視界に入った表情が軽く微笑んだ。そして、何も言わないまま元々近かった距離をさらに近づけてくる。
「え、え、え?」
これはまさかアキラから?
急なアキラの行動にあたふたするケイスケを尻目にさっき自分がしたように手を伸ばされ、期待に鼓動が速度を上げた。
「――っ」
「これ、ついてたぞ」
「へっ?」
触れられる瞬間に目を閉じてしまったため、思いっきり普段と変わらないトーンの声にすっとんきょうな声をあげながら目を開ける。すると、目の前に見えたアキラの手には、髪にでもついていたらしい桜の花びらがあった。
「あ、はは……だよね」
「どうかしたのか?」
「アキラってさ……」
予想以上に無防備だ。
そう心の中で思いながら、桜の花びらが乗った手を掴んで体を引き寄せる。そして、案の定ケイスケの行動に驚いた表情を見せたアキラの唇へ、短いキスを落とした。
「――っ、いきなりなんだよっ」
ついさっき自分から変わらないくらい距離を縮めたのは覚えていないらしい。そしてそれが、ケイスケがアキラの寝顔を見ていた時からずっと我慢していた触れたいと思う気持ちのタガを完全に外してしまったことも。
「でも、そんな所にも惚れてるよ、俺」
「だから、なんのこと――んんっ」
今度は少しだけ深くキスをする。顎を軽く持ち上げるようにして口内へ舌を差し入れると、びくりと反応を見せてアキラが強く瞳を閉じた。すると、手に乗ったままだった桜の花が他の花びらと混ざるようにして再び宙を舞い落ちていく。
「アキラが大好きってこと」
その様子を見届けながらゆっくりと唇を離し、吐息がかかる距離で呟くように言う。それに言葉が返ってくる前に、吐息を奪うようにまた唇を重ねた。
「ん……っ」
「……アキラ」
何回かそうして唇を重ねた後、頬に唇を寄せてそこがさっきのように冷えていないことにホッと息を吐く。そのままもう一度強く抱きしめて、微かに赤みを帯びた耳元へと口を寄せた。
「もうちょっとだけこうしててもいい?」
アキラから言葉が返ってくることはなかったが、その手がケイスケのジャケットを掴んだのがわかり、穏やかに微笑みながら「ありがとう」と呟いて再びアキラの温もりの中へと溺れていった。
終わり
*あとがき*
思いっきり季節ものでした。
とにかく、くっついてるぞ。からキスのベタな流れが書きたかった(笑)
でも、いつそういう展開に持っていくか悩んで、結局最後になってしまいました。
時間軸は、トシマから出て、最初の春だといいなー。なんて思いながら書いたりしてます。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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