忙しい日は




「アキラー。こっちはキリがいいところまできたんだけど、アキラはどう?」
「あぁ。……っと」

 呼ばれた声に手にしていた工具を置き顔を上げて、手を振っているケイスケに向かってアキラは頷いた。
 キリがいいところまで。
 今週は納期の間隔がとても短く忙しかったため、遅れた分が週末にずれ込まないようにと今日二人は残って仕事をしていた。作業に集中しているとすぐに時間が過ぎてしまうらしく、声をかけられて時計を見るともう八時をまわっていて慌てて工具を片付けはじめる。

「お、ケイスケにアキラ、まだ残ってたのか。いや、正直助かった」

 そんな所に声をかけてきたのは、同じように残って作業していた工場長だ。
「あれ? もしかして今からどこか行くんですか?」
 作業着のままカバンを抱えていることに疑問を持ったのかケイスケがそう聞くと、新しい取引のことで呼び出しをくらっちまってな。と工場長は苦笑いを見せた。
「それで悪いんだが、急だったからあっちの機械がまだ動いたままでな……」
 今から誰かを呼び出すつもりだったらしく、ケイスケとアキラを交互に見ながらそれを頼めるかと問いかけてくる。
「それなら俺達で見てますよ。ね、アキラ」
 言われるまでもなく、もちろん構わないとアキラも頷いた。
「そりゃ助かる。後は部品の洗浄が二回だけだから、終わったら鍵かけてそのまま帰って構わないからな」
 お前らなら安心して頼める。と言葉通りホッとした表情を見せて、ケイスケに向かって工場の鍵を放った。

「それじゃあアキラ、ケイスケ、頼む」
「はい」
「気をつけて行ってきてくださいね」

 悪いな。と何度も言って出て行く工場長を見送って、二人は頼まれた機械の方に向かった。
 引き継ぐとはいえ工場長がやっていた作業は部品の洗浄だ。設定はほとんど済ませてあり、後は終わった分の入れ替えや不具合がないかどうか見ていればいい状態になっている。
「これなら、少しゆっくりしてられそうだね」
「そうだな」
 そのため近くにたたんであったパイプ椅子を引っ張り出して、それに座って待つことにした。
「こんな時間に出なきゃいけないなんて大変だよね」
「あぁ。でも新しい取引先って言ってたし、大変でも嬉しいことなんじゃないか」
「また来週も残業かな……」
「そうかもな」
 週末はゆっくりと休んだ方が良さそうだ。そんなことを思いながら動いている機械に目を向けた。
 やはり冬のこの時期は日が暮れると一気に冷え込んでくる。一応空調をきかせてはいるが、それでも少し冷えてきたのを感じてアキラは小さく身震いをした。
「寒い?」
「少し……」
「なんか掛けるもの取ってこようか?」
 問いかけられた言葉に機械のタイマーに目をやってから首を振った。
「もう少しで一回入れ替えるんだろ。動けば平気だ」
「でも、次のをかけたら取ってくるよ」
 やっぱり風邪をひいたら大変だから。とケイスケは笑う。それくらい自分で行くと言ったが、いいからアキラは座ってて。と結局言いくるめられてしまった。

 しばらくして二人の目の前で動き続けていた機械がピー。と音を鳴らして停止し、ケイスケは出来上がった分を台車へと乗せはじめた。アキラも開いた場所に次の分をセットしていく。
 ここに来てすぐは果たしてこの作業に慣れることができるのかと思ったものだが、今ではしっかりそれを体が覚えていることに、過ぎている時間の流れを感じた。
「アキラ、指挟まないように気をつけてね」
「あぁ」
 終わった分を台車に積み終えたケイスケが、アキラに新しい分を渡しながらそう言う。頷きながらそれを慎重に受け取り、やがて全てを並べタイマーをセットした。
「これでよし……っと」
「しばらくはまた見てるだけか」
「うん」
 正常に作動し始めた機械を確認し、ケイスケと顔を合わせ頷き合う。
「じゃあ、俺はこの台車をあっちに持っていくついでに、なにか掛けるものを持ってくるね」
「あぁ。悪い……」
「気にしないで。アキラは機械の方よろしく」
「わかった」
 よし。と気合いを入れて、台車を押して行ったケイスケが通路に出て行くのを見送ってから、アキラは再び椅子に座った。
 動き続ける機械を漠然と見ながら、ゆっくりと辺りの空気が冷えていくのを感じるのは、どこか不思議な気持ちになる。
 昼間はここにある全ての機械が動いていて、人の声もして賑やかなせいか、今は機械が動いているにも関わらずとても静かな場所のように感じた。
 それこそはじめは働くということだけで精一杯で、工場の中が賑やかだと思う余裕すらなかったため、こうして少しだけでも辺りを見渡せるようになって改めて、自分があの時どれだけ必死だったか。を思い返すことができるようになったのだと感じた。

「遅い……」

 そんなことを思いながらしばらくぼんやりとタイマーの表示を見ていたアキラだったが、ケイスケがなかなか戻って来ないことに疑問をもってそう呟いた。入ってくるはずの出入り口を見てみるが、戻ってくる気配はまだない。
 なにやってんだ?
 そう思って機械に視線を戻した直後、アキラの耳に足音が届く。
「アキラ! 遅くなっちゃってごめん」
「いや、なにか問題でもあったのか?」
「えっ、あ……あの」
「ん?」
 問いかけた言葉に僅かだがケイスケの視線が宙を泳ぐ。やはりなにかあったのかと思い首を傾げると、あ。と声をあげてアキラに手にしていたタオルケットを渡した。
「どれ使っていいのかわからなくて。時間かかっちゃったんだ」
 確かにまだツナギ姿のうえに、一日着ていたためそれは油まみれになっている。そのため渡されたタオルケットも使っていいものかと思ってしばらく見つめていたが、それは平気だよ。とケイスケに言われ、素直に広げて肩の辺りまで掛けた。
「あと、コーヒー買ってきたよ。中から温まった方がいいと思って」
 走って帰ってきたから疲れたー。と声を出しながら椅子に座り、缶コーヒーを手渡しながらそう言ってくる。渡されたそれは少し熱く感じて、今さらだが自分の体が思ったよりもずっと冷えていたことに気がついた。
「お前は?」
「え?」
「寒くないのか?」
 タオルケットは一枚しかなかったらしく、今ケイスケはなにもかけていない。走って戻ってきたとはいえ、この感じだとまたすぐに冷えてしまうだろう。
 一応心配して言ったのだが、ケイスケはなぜか嬉しそうに笑顔を見せた。
「んー。じゃあ、一緒に入ってもいい?」
「一緒にって……」
「あ、椅子くっつけて半分ね」
 本当は俺がアキラを抱えてもいいんだけど。と付け加えられて、飲んでいたコーヒーを思わず吹き出す。
「お前……なに言って」
 咳き込んでなんとか言葉を返したアキラに笑顔を見せて、ケイスケは立ち上がり椅子をくっつけてきた。その様子をまったく。と思いながら見ていたが、再び座ったケイスケにタオルケットを広げて反対側の端を渡した。
「ありがとう」
「肩までかけるからな……冷える」
「うん」
 部屋では同じベッドで寝ているせいもあり、いつもと変わらないケイスケの体温はどこか安心できる。そうやって徐々にタオルケットの内側が温まっていくのを感じて、一日の疲れが出たのか一気に眠気が溢れ出してきた。
 不具合がないか見ていればいいとはいえ、まだ作業中だ。寝てしまうわけにはいかない。と小さく首を振る。そんな様子に気がついたケイスケが、それを見てくすくすと笑いをこぼした。
「……笑うな」
「ごめん。でもやっぱり眠くなるよね。今日も一日忙しかったし」
「そうだな……」
「でも、それもあると思うんだけど――」
 途中で言葉を切り、ケイスケは片手をアキラの腰に回してくる。
「な……っ」
「いつもこうやって一緒に寝てるから、多分体が寝る時と同じ状態になったんだと思うよ」
「そう……なのか?」
「きっとね。俺もそうだから」
 安心するんだよね。と呟かれた言葉には納得できる。そして寄りかかっていいからねという声に従って、少しだけケイスケの方に体を預けた。
「アキラ……あったかい」
「……嬉しそうに言うな」
「だって嬉しいよ」
「……」
「一番安心できるから……アキラの温度は」
「もうわかったから……黙ってろ」
 聞いているだけで恥ずかしい。ケイスケ本人があまり考えないで口にしているから余計にだ。これ以上恥ずかしくなることを口にされる前に、アキラはふいっと顔をそらしてタオルケットを引き上げた。
 腕を回されたせいで密着したからか、ケイスケが言った通りさっきよりも暖かい。タオルケットがかかっていない顔だけが少し冷えていたが、さっきのケイスケの言葉のせいか幾分熱くなっていた。
 こうなると、機械の動く音すら子守歌になってしまうのだろう。起きていなければという意識よりも先に体が限界を越えて、それに引き込まれるように眠りへとあっさり沈んでいった。

 ▲ ▼ ▲ ▼ ▲

「……アキラ?」
 顔をそらしたまま動かなくなってしまったアキラを呼んだが、返事はない。
 やっぱり疲れてたんだ……当たり前だよね。本当に今週は忙しかったから。
 すぐに眠ってしまったと悟り、ケイスケはふっと笑みを浮かべた。
 視線をタイマーに向けると、あと十分くらいで終わるようだ。それだけしかないがギリギリまで眠らせてあげよう。と、アキラの体が倒れないように回した腕に力を込める。

 この調子だと、今日が何の日なのかは覚えていないだろう。
 今日はバレンタインデーだ。しかし、前にその話をした時、興味がないとばっさり切られたのを思い出す。それがアキラだと言ってしまえばそれまでなのだが、すっかり忘れている様子に、あんなに力説したのにな。と、少し淋しい気持ちになった。
 しかし、実際今週は忙しすぎて、作ろうと思っていたケーキも、あげたいと思っていたプレゼントも用意することはできなかった。
 さっきタオルケットをとりに行った時、どうすればいいかを悩んだが、結局唸っていただけで何もいい考えは浮かんではこなかった。
 あるのはそれでもなにかしたいと思っている自分の気持ちだけだ。
「……はぁ」
 どうすればいいんだろう。
 そんな気持ちからため息が出た。
「っ……ん」
「あ」
 アキラが小さく動いて、自分のため息が聞こえてしまったかとはっとなる。
「……」
 しかしすぐにまた寝息が聞こえ、今度は控え目に安堵の息を吐いた。
 起こさないようにゆっくりと距離を縮め、支えていない方の手で軽く髪に触れる。それでも起きない無防備な様子が愛しくてたまらない。
 アキラ……ごめんね。あんなに力説したのに、なにもできなくて。
 高鳴る鼓動を押さえこむように息を止めて、そう思いながらそっと頬に唇を寄せた。そして、押さえ切れない思いが導くままに今度は唇を重ねようと顔を近づけようとしたその瞬間――。

「わ……っ」
「……?」

 突然機械が異常を告げる警告音を響かせる。そして眠っていたアキラも驚いて瞳を開いた。そうなれば必然的に顔を近づけていたケイスケともバッチリ目が合ってしまう。
「お前……っ」
「ご、ごめんっ。かわいくてつい」
「なに……やって」
「と、とにかく機械を見ないと。ね?」
 そう言ってなんとかアキラの意識をそらし、ケイスケもまだ警告音を鳴らす機械の様子を見始めた。
 いいところだったのに……。
 思わず口に出してぼやきそうになるのを押さえ、問題が起きた場所を探していく。
「あ、多分これだ」
「見つかったのか?」
「うん。洗浄液がなくなっちゃったみたい」
 違う場所を調べていたアキラがその言葉に大したことじゃなくてよかった。とホッと息を吐いた。ケイスケも頷いて洗浄液が入った入れ物を持ち上げ入れ替えはじめる。
「ケイスケ?」
 タイマーの方を再設定していたアキラに呼ばれ、空になった容器に新たな洗浄液を注ぎながら顔を上げた。
「どうかした?」
「いや……、時間、あと何分だったんだ?」
「あ、そっか。あと五分くらいだったと思うよ」
「わかった。……それと」
「それと?」
 語尾が小さくなったことを不思議に思いながら聞き返す。すると、向けた視線を少しそらしながらアキラは口を開いた。
「お前も疲れてるのに……悪い」
 眠ったことに対する言葉なのだろうか。それなら自分が寝かせてあげたいと思って起こさなかったのだから、気にすることなどないのに。と、首を振る。
 それに、無防備に眠れるということは、安心してくれている証拠でもある。ケイスケにとってそれは逆にお礼を言ってもいいくらい嬉しいことだ。
「気にしないで。アキラの寝顔、すっごくかわいかったし」
「そういえば……」
「え?」
「さっきお前はどうしてあんなに近づいてたんだ?」
「そ、それはその」
 せっかく機械のことで追求を免れたかに思えたのに、結局話題が戻ってしまい、しどろもどろになりながらなんとか洗浄液を入れ終えた。

「あ、アキラ? スイッチ……入れて?」
「また話をそらすつもりか?」
「違うって、終わらないと帰れないでしょ?」
「それは――」

 アキラの視線が痛いほど突き刺さりながらも、ケイスケは、ね? ともう一度念を押す。
「……わかった」
 仕方ないと言いたそうに見えたが、疑念のこもった視線がそらされ少しだけホッとする。しかし、それもつかの間、スイッチを入れるなりアキラはケイスケに詰め寄ってきた。
「言えよ」
「あ……はは」
「ごまかすな」
「だ、だからそれはその。バレンタインが……」
「バレンタインってお前がこの間力説してたやつのことか?」
 目の前の顔が不思議そうに傾く。もう観念するしかないか。と腹をくくったケイスケは、頷いてアキラの体を抱き寄せた。
「な……おいっ」
「本当は、今日アキラになにかプレゼントしたかったんだ」
「……バレンタインのか?」
「うん。でも、忙しくて用意できなくて……」
 もちろんそんなことで気持ちがどうなるわけではないとわかっている。
 しかし、自分がバレンタインという日にこだわっていただけに、なにもできないのは悔しくて淋しいと思った。そしてこっそり謝ろうと思って顔を近づけたものの、結局自分の中にある「アキラが好き」メーターが振り切ってしまった。というわけだ。
 情けない。とうなだれつつ素直に言葉にして吐き出すと、腕の中の体が小さく身じろぐ。そしてケイスケの肩に額を押し付けて聞いていたアキラが顔を上げた。
「……別に俺はそんなの気にしてない」
「それでも、俺はアキラのためになにかしたかったから……」
「なら、もう十分だ」
「で、でも」
 一瞬突き放されたのかと思って焦ったケイスケを見て、アキラは軽く表情を緩める。
「お前、さっき俺が寝てたのを起こさなかっただろ」
「それは、疲れてるのわかってたし。……寝顔もかわいかったし」
「後の言葉には納得いかないが、なにかしたいって気持ちはそれでいいんじゃないか?」
「……アキラ」
 結局いつもこうだ。
 アキラのためになにかしたい。そう思っているのに、過ぎてみれば満足させられているのは自分のような気がしてしまう。頼れる男になりきれていない自分に大きなため息を吐きそうになって、慌ててそれを隠すためにアキラをもう一度抱きしめた。

「アキラ、俺」
「……っ、……ケイスケ」
「なに?」
「顔についた」
「えっ!」

 せめてこのままもう少しだけ……。
 一瞬でもそんなことを考えたのが悪かったのか、恐る恐る体を離すとしっかりと顔に汚れをつけたアキラが案の定ムスッとした表情で視線を向けてくる。
「あ、ほんとだ」
「冷静に言うな、落とすの大変なんだからな」
「じゃあまた俺が一緒に――」
「この……バカっ」
 しまったと思った直後に足にアキラの蹴りが入った。それがヒットするのと同時に機械が停止を告げる音を鳴らす。
「痛っ」
「終わったみたいだな」
「あ、アキラァ……」
 脚をさすりながら発せられた情けない声が響くと、終わった機械の方を向いていたアキラが振り返った。
「ほら、帰るぞ」
「アキラ……うん!」
 当たり前のように差し出された手に嬉しさが込みあがってきて、痛みなどあっという間に忘れてその手をとる。
 バレンタインはちゃんとできなかったけど、ホワイトデーこそは……。
 ケイスケはそんな小さな決心を胸に、アキラと共にアパートへ帰っていったのだった。

終わり

*あとがき*
 どこまでラブラブにしたらいいものやらかなり迷いました(笑)
 このまま風呂EDでもよかったんだけど、
 この話の中ではケイアキは次の日も仕事だからやめておきました。
 ケイスケの決心の通り、これはホワイトデーに続きます。
 工場については、整備ってことと、あまり規模が大きくない、くらいしかわかってなかったので、
 かなりアバウトに書いてみました。洗浄機とかなら工場系では結構見かけた気がするから、アバウトに(笑)
 同じ目線なケイアキの普段のやり取りを書くのが好きなのはいいんだけど、なんとなくグダグダになってしまって反省。
 最後に読んでくださった方、ありがとうございました。
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