「アキラ――」
「ん……っ? ケイス……ケっ?」
なにやってんだ。
そう続くはずだった言葉は、ケイスケの唇によって塞がれている。言葉を返す隙すらない。それくらいに突然の行為だった。
ベッドに寝転がって読んでいた雑誌が、もがいた拍子に床へと滑り落ちる。
「……ぅっ、ん」
ぐっと顎を掴まれ、開いた口に何かが入り込む。そのいつもとは違う感触に思わず顔を歪めて唸り声が漏れた。
――甘い?
それが何なのかを考える前に、味覚がそう告げる。
「……美味しい?」
離れていく唇の間から問いかけられ、そこでようやくそれがチョコレートなのだと頭の中で理解できた。
「離れろっ、普通に食べられる」
「だってせっかくのチョコレートだったし」
「せっかくだからってなんでこんな――っ」
そんなわけでもう一個。
全くアキラの突っ込みには触れないまま、ケイスケはもう一度チョコレートを掴んで開いた口へと放り込んできた。
「……これ、どうしたんだよ」
今度はキスをされなかったが、距離は近いままで気まずいため、じっと口元を見つめてくるケイスケから視線をそらして問いかける。
「昨日買い出しに行った時にこっそり買ってきたんだよ。バレンタインは残業でなにもできなかったし」
それは諦めて別の日に全力をかけるんじゃなかったのか?
あの日の帰り道にそう言って、バレンタインデーの時以上の力説を聞かされた自分としては、この変わりようには少々納得がいかない。
それを言ってやろうかと思ったが、それより先に美味しい? と再び問いかけられて、渋々ながらも頷く。
「よかった」
目の前の表情がにっこりと笑顔に変わる。それと同時にケイスケの指がアキラの髪に触れてきた。
くるくるとそれを楽しそうに弄びながら、ただ食べるのを見つめられているというのは正直気分がいいものではない。そう思ったアキラは、ケイスケの頬をグッと手のひらで押しのける。
「だから離れろ……って」
「――あ、そうだ。アキラ」
「……」
その力に負けじとなにかを思いついたのかケイスケが顔を戻してくる。
こいつは……。
結局二人の距離は変わらないまま、息がかかりそうなくらい近い。しかし、それよりも思い出した物事の方が重要なのか、ケイスケが再び口を開いた。
「ね、ホワイトデーはどこに行きたい?」
「ホワイトデー?」
「うん。来月のこと、話したよね」
「あぁ……」
別の日。としか認識していなかったが、そんな名前だったなと思い出し、なんだそれはと返そうとした言葉が止まる。しかし、急にどこに行きたいかと聞かれても答えられるわけがない。
「どこって……、出かけるつもりなのか?」
「うん。せっかく金曜日だから、夜に出かけて……それで――」
「……もういい」
しっかりと出かけることになっているのは、この際どうでもいいと思った。アキラにとってケイスケと出かけることは、色々あっても特に嫌ではないのがその理由だ。
しかし、おそらくその言葉の先は、この前聞いたホワイトデーについての話と変わらないだろう。行く場所が決まってない以上、このまま話をしても同じ話に繋がるのが目に見えていたため、アキラは首を振った。
正直なところあの話をもう一度聞くのは御免だと改めて思う。
「そう? じゃあ、話は戻るんだけど、アキラはどこに行きたい?」
「……別にない」
「行きたい場所とかないの?」
ない。というよりも、そういう時にどんな場所に行くのかよくわからなかった。そのためもう一度首を振った。
「お前に聞くまでまでホワイトデーって言葉を知らなかった奴に聞くことじゃないだろ、それ」
「そうかな」
「そうだ」
「でも、やっぱりアキラが行ってよかったって思う場所がいいんだ」
じゃないと行く意味がないから。
急に真面目な表情でそう言って視線がぶつかる。思わず小さく息を飲んだが、ハッと我に返って再びケイスケの顔を押しのけた。
「……どこでもいい」
「えっ?」
「お前が行きたいと思う場所でいい」
「いいの?」
「変な場所じゃなければな」
「本当に?」
なぜか念を押され、一瞬それを疑問に思ったが、すぐに笑顔で「じゃあ頑張って考えるから」と言葉が返ってきて、その疑問も消えていく。
「それじゃ……」
話も一段落したところで。と、ケイスケは再びテーブルへと手を伸ばしてチョコレートを掴み自分の口に放り込む。そして、顔を押しのけるため触れていたアキラの手に指を絡めてから再び唇を重ねてきた。
「お……いっ、ん……ぅっ」
今度はしっかり両手をベッドに押し付けられていて、暴れても大した効果がない。そしてさっきよりも状況を把握しているせいで羞恥心を煽る口づけに、胸が苦しくなって瞳を閉じる。
「ぅ、んん……っ」
すぐに溶けはじめたチョコレートが、ゆっくりと喉の中を落ちていく。かなり甘いせいか、通った場所がひどく熱く感じた。
やがてチョコレートが形を無くしても唇が離れることはなく、口内に残る甘い味につられてむしろ深くなった。上顎にくすぐられるように触れられるとアキラから鼻がかった甘い声が漏れ、それを聞いたケイスケが息を飲んだのがわかる。
「ん……ぅ、ん」
いつの間にか絡めていた手は離れていて、それでもさっきのように押し返す力は入らずケイスケにしがみつくようにそのシャツを掴んでいた。
「……アキラ」
「ん……っ、んっ」
キスの間に吐息で名前を呼びながら、ケイスケはアキラの髪を愛しげに何度も撫でる。そして軽く音をたてて舌を吸い上げてから、ようやく唇を解放した。
「……」
苦しさの反動で言葉も出せないまま大きく胸を上下させていると、今度は短いキスを奪ってくる。
「おいっ」
「だって来週も忙しいし、そうなるとアキラに無理させられないから……」
「そう思うならいい加減どいてくれ」
「……」
返した言葉に急に沈黙を返されて、少し言い過ぎてしまったかとケイスケを見つめた。しかし、それはアキラの思い過ごしだったらしく微笑んだ顔が目に映る。
「じゃあ、あと一個だけ」
「あと一個って、またあんな食べ方をするつもりなのか?」
「うん」
その即答を聞きさっきの状況が頭によみがえってきて思わず視線を外した。
「もしかしてアキラ……照れてる?」
「なっ、違う!」
勢いよくそう返し睨みつけると、笑いながら「ごめん」と呟いてチョコレートに手を伸ばした。
それっきりケイスケはなにも言わず無言のまま口元にそれを差し出してきて、甘い香りが吸い込んだ空気とともに体の中に入り込んできた。
このまま、口を開くまで待っているつもりなのだろうか。
チョコレート越しに見える瞳は、確かにアキラが頷くのを待っている。さっきまでは唐突にキスをしてきたくせに、今は動こうともしない。唯一瞳だけが微かに揺れているように見えた。
その瞳を見て、恐らく自分もケイスケが向けている瞳と同じような瞳をしているのだろうと思った。だからこそケイスケもふざけた様子を見せずに黙って待っているのだろう。
それでもさすがに目を合わせたまま頷けるわけもなく、襟元に視線をずらしながら、ケイスケが自分の体を支えるために着いている腕に触れた。
「ありがとう……アキラ」
囁いた声は少しかすれていた。
しかし、それを気にしている余裕もなく、三度アキラは甘いキスへと引きずり込まれていった。
終わり
*あとがき*
相方から出されたお題「キス」に、バレンタインに何もできなかったケイスケの野望と、
ホワイトデーへの軽い布石を混ぜてしまった話になりました。
しかしキス描写は難しいですね(笑)
裏にならなくてもエロスが見える話を書けるようになりたいです。
おまけSSなのでケイスケと共に唐突な展開になってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。
2/20