それはきっとお互い様




「大丈夫か?」
「う……うん」
 頷いたた直後に数回咳き込んだケイスケは、力無くうなだれた。
 風邪が流行っているから気をつけろよ。
 そう工場長から言われたのが昨日のこと。そして次の日にはこうして高熱を出したケイスケは、やはりとても単純と言っていいかもしれない。
「ほら、水、薬はこれから買ってくるから、とりあえずこれ飲んで寝てろよ」
「うん……」
「どうした?」
 渡したペットボトルを見つめて動きを止めたため、そう問いかけてみると、何かを考えていたらしいケイスケがアキラを見る。
「あの、さ……アキラ。風邪うつったら大変だからさ、今日は他の人の所に泊まった方が……」
 そう言いながらも、しっかり顔には「行かないでほしい」と書いてあるように見えるのは、気のせいだろうか。ここで自分がそうすると返したら、言い出したのはケイスケであるにも関わらず泣き出すのではないかとすら思えて、アキラは首を振った。
「うつるとは限らないだろ」
「だけど……」
「いない方がいいなら出ていくぞ」
「そ、それは絶対ないけど……」
 でもアキラにうつしたら……。と話は一回転して口ごもる。
「とにかく、起き上がるのも辛いんだろ。まずは自分の心配しろよ」
「……アキラァ」
 やはり泣きそうな声をあげて飛びついてきそうになるケイスケにいいからおとなしく寝てろと言い、タオルを手にして立ち上がった。

 台所に向かい水道の蛇口をひねってタオルを水で濡らす。
 こうなったのが正直土日でよかった。
 みるみるうちに冷えていくタオルを見つめながら、アキラはそう思った。
 仕事があるとなれば、ケイスケの性格上無理にでも行こうとするだろう。それを阻止できても、やはり長時間一人にしておくのはアキラにとっても心配の種になる。
 そんな事を考えながら十分に冷えたタオルを固く絞り、ケイスケのもとへと戻る。
「乗せるぞ」
「うん。……っ」
 額にそれを乗せてやると、冷たさが気持ちいいのか瞳を細めた。
「俺は買い物に行ってくるから、ちゃんと寝てろよ」
「……うん」
 そこまで落ち込むか、とアキラが思わず感じるほど、ケイスケの声が急にか細くなる。
 このまま一人にするのはやはり気が引ける。しかし薬はあった方がいい。工場長の家からもらうという手もあるが、これから毎回そうするわけにもいかない。それなら今買いに行った方がいいだろう。
「すぐに帰ってくるから、そんな顔するなよ」
「ごめん……」
「だから、落ち込むな」
 ケイスケの髪を撫でるように触れて、アキラは立ち上がった。
「あ、アキラ?」
「どうした?」
「気をつけて……ね」
「あぁ」
 これ以上心配させないように、いつもより大きく頷いてみせてからアキラは部屋を後にした。

 風邪なら……やっぱり粥とか食べさせればいいのか?
 部屋を出たはいいが、今まで誰かの看病をしたことがないアキラは、実際何をしたらいいのかがよくわからなかった。
 とりあえず薬を買って、本屋に立ち寄ってみる。適当な棚からそれらしき本をとり、パラパラと目を通してみた。
 消化にいいものって、やっぱり粥……だよな。
 いつも料理はほとんどケイスケがやってくれていたため、アキラはその知識がないに等しい。作り方などと言われても全く頭に浮かんでこないのだ。
 結局立ち読みだけではよくわからず、風邪の対処法が載った本を買って、それを見ながら材料を揃えることにした。
 ……果物も買った方がいいのか。
 歩きながら本を開いて、食べさせた方がいいと書いてあるものも買う。
 やはり早く元気になってほしい。
 いつもならば二人で賑やかに買い物をすることを考えて、アキラはそう思うと足早に部屋へと戻った。

「アキラ!」
「……お前、寝てろって言っただろ」
「でも、でもアキラ……遅かったから」

 部屋に戻ってすぐ、ケイスケの声が響いてアキラを驚かせる。
 そんなに時間がかかったかと時計を見るが、いつもより少し遅いくらいだった。しかし、あまりにも心配そうな顔を向けられると、怒る気も失せる。
「夜は熱が上がるだろ。無理するな……頼むから」
「アキラ……」
 体を起こしていたケイスケも、それが自分を邪険に思っての言葉ではないとわかったのか、おとなしく布団に潜った。
「……」
 買い物袋に目をやって小さくため息をつく。
 帰り道も本を読みながら来たが、いきなり作って果たして上手くいくものなのかと思った。ふと背中に視線を感じて振り返ると、ケイスケが口には出さないが申し訳なさそうな目を向けている。
「大丈夫?」
「お前の方が大丈夫じゃないだろ」
「そうだけど……」
「……不味かったら食べなくていい」
「そんなこと絶対できないよ。アキラが作ってくれるんだもん」
 どんなものでも絶対食べるから。
 嬉しいのかそうではないのかよくわからない言葉に微妙な気持ちになったが、とりあえず作ってみるしかないと再び買い物袋へと向き直った。

「わっ、すごいよアキラー!」
「……」

 一時間ほど奮闘した後、無事に湯気のたつ粥と皮を剥いたリンゴがお盆の上へと並ぶ。
 嬉しそうに声をあげているケイスケとは反対に、アキラはそれを複雑な視線で見ていた。かなり手間がかかってしまったうえ、粥は水分が心なしか飛びすぎているし、リンゴもガタガタだ。
「……もう一度言っておくが、不味かったら食べるなよ」
「そんなこと絶対ないって。だってほら、いい匂い」
 この調子だと不味くても美味いと言うだろう。いつもならばそれでも別に構わないが、今ケイスケは具合が悪い。
「やっぱり……、何かインスタントのを買ってくる」
 そう言って布団の上に置かれたお盆を取り上げようと手を伸ばした。
「え、だ、駄目だよっ、もったいない!」
「こら、暴れるなっ」
「嫌だ。いいんだよ。アキラが作ってくれたんだから」
 風邪をひいていても力はやはり強く、少しの押し問答を繰り返した後アキラは仕方なく諦めて手を引いた。
「美味しいとか不味いとか、そんなんじゃないんだ」
「……」
「アキラが俺のために作ってくれたのがすごく嬉しいんだよ」
「……っ」
 にっこりと微笑んだケイスケに、言葉を失ったアキラは、だからこそ美味いものの方がいいんじゃないのかと思う。
 しかし、どう頑張っても引いてくれそうにないため諦めてベッドに背を向けた。
「鍋、片付けてくる」
「え、行っちゃうの」
「あぁ」
 見てられるわけないだろう。口には出さないがそう思って、台所へと向かう。
 水を出しながら鍋を洗いはじめたアキラの耳に、じゃあ食べるね。とどこか嬉しそうに言ったケイスケの声が届く。思わず手を止めて流れ落ちる水を見ながらその様子をうかがった。

「わ……」
「……っ」
「美味しい! さっすがアキラ!」

 本当に美味しくて言ったのかわからず、水を止め洗い終わった鍋を伏せてケイスケの方に戻った。
「アキラ、これすっごく美味しいよ」
「それ、本気で言ってるのか?」
「うん。アキラも一口食べてみればわかるよ。本当に美味しいんだから」
 そう言われてケイスケはレンゲを渡してくる。確かにこのままでは気になって仕方がないため、アキラもそれに促されるまま粥を一口食べてみた。
「……」
「ちょっと水分は飛んじゃってるけどさ、塩加減とかぴったりだよ」
 作る時にかなり手間取ったせいで、食べられないものになっているのではないかと思っていたが、考えていたほど不味いものではない。
「俺はこれくらいの味、好きだなー」
「……っ」
 無邪気に笑いながらそう褒められて、今さらながら気恥ずかしくなる。
 結局ケイスケはリンゴまでしっかり平らげて、アキラが買ってきた薬を飲んで横になった。

「アキラ……?」
「どうした?」

 片付けを済ませベッドを背にして雑誌を読みはじめたアキラに、ケイスケが声をかけてくる。向きを変えて言葉を返すと、布団の中から手が出てきてアキラの頬を撫でた。
「……っ」
 触れた手の熱さにはっとする。まだ薬が効いていないのだろうか、吐息も少し荒いように見えた。
「大丈夫か?」
「うん……」
 頬に差し出された手に触れると、嬉しそうに笑ってそれを握り返して瞳を閉じる。
「アキラ、ごめんね」
「別に謝ることじゃないだろ」
「そう……なんだけど、アキラも疲れてるのに迷惑かけちゃったから」
「迷惑だなんて思ってない。お互い様だろ、こういうのは」
 風邪など誰がいつひいてもおかしくない。
 だからこればかりはやはりお互い様と言うのが一番しっくりくる。
 そう思って口にしたのだが、ケイスケは突然くすくすと笑い出した。
「なんだよ」
「アキラが熱出したら、俺すっごく慌てるんだろうなって思って」
「……」
 ケイスケは笑って言っているが、実際にその時の様子が目に浮かんでしまう。
 けれど、それと同じくらい今日の自分も焦っていたことを考えると、それは一緒にいるなら当たり前のことなのかもしれないと思った。
「でも、アキラに看病してもらえるのは嬉しいけど、うつしたら悪くて何もできないんだよね」
「何も?」
「ほら、抱き締めたり、キスしたり……他にも――」
「もういい」
 言いはじめたら止まらない予感から、アキラはケイスケの言葉を遮って手を離した。
「……あ」
「薬が効いている間にちゃんと寝ろよ」
 そう言ってベッドに背を向けて、床に置いたままの雑誌を再び読みはじめる。
 すると、うん。と力ない声がして、布団が動いた音が聞こえてきた。
 すぐ調子にのるからな。ケイスケは。
 そう思いながらも、薬が効いているうちに寝た方がいいだろうと言ったのは、アキラも話をしているとそれを中断できそうになかったからだ。案の定しばらくすると眠りについたらしく、寝息が聞こえてくる。

「……」

 アキラは再び雑誌を置いてケイスケの方を向き直った。
 額に乗せたままのタオルが温くなっていたため、それを持ってまた台所へと向かう。
 静かな部屋に蛇口から流れる水の音が少し大きく耳に届く。そういえば、買い物をしている時にも似たようなことを感じたのを思い出した。静かな場所が嫌いではないはずなのに、こういう静けさは少し苦手だと思う。
 しかしケイスケが元気ならば、それはそれで自分はうるさい、とか、うっとうしいなどと言うのだろう。
 そんなどこか矛盾している気持ちが可笑しく感じるが、どっちも隣にケイスケがいるからこそ感じる気持ちなのは変わらない。
 些細なことだがすっかり当たり前になってしまっていることに、不思議な気持ちがわきあがった。
 冷やしたタオルを持って戻り、ケイスケの額にそっと乗せると、また小さな呻き声があがる。
「熱……高そうだな」
 だいぶ夜もふけてきたが、やはりケイスケが心配でアキラは眠れないでいた。
 もちろんそれで自分が体調を崩しても意味がないのもわかっているため、自分用の毛布を引っ張り出して肩から掛ける。そしてケイスケの布団の中に片手を突っ込み、さっき離した手を再び握った。
 まだ熱い手は握ったことが伝わったかのようにゆっくりと握り返してくる。起こしてしまったかと顔を上げたが、同じ感覚で繰り返される呼吸がそうではないと示していた。
 早くよくなってほしい。
 またそう思う。いや、思うというより今度は願っていたのかもしれない。ケイスケの手から伝わる温かさと、慣れない事をした一日の疲れからか、ゆっくりと眠気が襲ってきてそれさえもよくわからなくなっていた。
「静かすぎる……」
 そしてそうぼやくように呟いた言葉を最後に、アキラの体と意識は、ゆっくりと眠りに引き込まれていった。


 ▼ ▼ ▼ 


「……あれ?」

 ケイスケが目を覚ますと、いつも隣で寝ているはずのアキラの姿がない。慌てて辺りを見回して、左手に感じた温もりに気がつき、その姿を見つけるとホッと息を吐いた。
「手、また握ってくれてたんだ……アキラ」
 思わず顔がほころんでしまう。しかし、これではアキラまで風邪をひいてしまうのではないかとも思い、ベッドから降りた。無意識に時計へと目をやると、すでに日がかわってだいぶ時間がたっていた。
 アキラに看病してもらったおかげか、体調は寝る前よりもよくなっていた。この調子ならば今日ゆっくりできればもう大丈夫だろう。
 毛布にくるまって寝息をたてるアキラを毛布ごとそっと抱き上げて、ベッドに降ろす。
「……っ」
 縮まった距離に吐息が届いたのを感じ、思わずケイスケは息を飲んだ。
 うつしてしまうから何もできない。
 自分で口にした言葉だが、それでもやはりアキラには触れていたいと思ってしまう。そんな思いからそっと髪に触れて、そこへ一度だけ唇を落とした。
「……ん」
 すると眠りが浅かったのか、小さく身じろいだアキラが瞳を開いた。
「あ」
「ケ……イスケ?」
「ご、ごめん。あのままじゃ風邪ひくかと思ったから」
「……具合は?」
「寝る前より全然いいよ。アキラのおかげで」
「そうか」
 その言葉に表情が緩んだのがわかる。それだけで胸が大きな鼓動を刻んだ。
「アキラ。……ありがとう」
 素直な気持ちが言葉として出る。アキラはまたそれに首を振って、言っただろ。と呟いた。
 お互い様。だよね。
 それに笑顔で頷いて、再び布団に潜り込む。するとアキラは少しだけ体をケイスケの方へ向けてきた。
「よくなったら……」
「えっ?」
「買い物、付き合えよ」
「か、買い物?」
 急に発せられた前の会話と全く関係のない言葉に、ケイスケは意味もわからないまま疑問を返す。しかし、アキラがその問いかけに答えを返すことはなく、しばらくするとまた整った寝息だけが聞こえてきた。

 買い物?

 もう一度考える。
 それでもやはりアキラが何を言いたかったのかはわからない。
 荷物が重かったとか?
 欲しい物があったとか?
 色々と浮かんではくるが、どれもアキラが考えることからは少し離れているような気がした。
 だんだんと混ざり合う二人分の体温は心地よく、まだ万全ではないケイスケの意識もゆっくりと眠りに引き込まれていく。
「治ったら……、わかるのかな……」
 それならばなおさら早く治さなければいけないだろう。アキラが願うことは、一番に叶えたいと思うからだ。
「それに……」
 やはり抱きしめたいと思った時にそれができないのは、正直辛い。
 だから、早く……よくならなきゃ。
 もうそれが言葉になっていないことすらわからないまま、とうとう眠気に逆らいきれなくなり瞼を閉じた。

 次の日。
 またアキラが作ってくれた粥を口にしながら、夜に言っていた買い物の意味を改めて問いかけたケイスケだったが、そんなことは言ってない。と返され、あれは夢だったのかと考えながら唸り声をあげていた。
「でも、確かに言ったんだよなぁ……」
「気のせいだろ。それか夢だ」
「そうなのかなぁ……」
 そうだろ。とだけ言ったアキラが、昨日と変わらない複雑な表情でケイスケが食べているのを見つめてくる。
「アキラ? どうしたの?」
「なんでもない」
「あ、今日のもすっごく美味しいよ」
「……」
 一瞬ホッとした表情になって、すぐにそれは怒ったような、そしてどこか照れたような表情に変わった。
「どうでもいいから早く食べろよ」
「うん!」
 夜の言葉はまだケイスケの心に引っかかっていたが、夢であっても必ず治ったらアキラと一緒に買い物へ行こうと思いながら、温かい粥を口にして微笑んだのだった。

終わり

*あとがき*
 ノベルチェッカーにかけて「怖いですね」って言われない話を書こう!
 そう思って書き始めた甘め話でしたが、「暗い」と言われて終わりました(笑)
 こればっかりは単語によって変わるので、仕方ない。
 はじめはアキラが風邪をひいてって話だったんですが、ケイスケのために奮闘するアキラの話を書きたくなって路線をかえてみました。
 そしてアキラはあくまで食への興味が薄いってのと、単純すぎる作業が苦手っぽいってことで、料理は苦戦するも成功したことにしました(笑)
 夜の会話は、どっちにもとれるようにしてみたもののアキラは寝ぼけてるといいかも。
 ここまで読んでくださってありがとうございました
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