隣にいる存在




「……海?」
「うん。今日は仕事も休みだし、アキラも一緒にどうかな……って」

 いきなり何を言い出すのだろう。
 そんな事を思いながらアキラは目の前で顔を赤らめながらこっちを見ているケイスケを見返した。
 今日は日曜日で仕事は休みだ。だから必然的に同じ工場で働いているケイスケももちろん休みになる。
 しかし、昨日の夜アキラに今日の予定を聞いてきたケイスケの口からは"海"という単語は一切出てこなかった。そのためあまりに突然すぎる提案に少しだけ面食らって黙ったまま視線を向ける。
「あ、でも、アキラが疲れてるならいいんだ。その……色々無理させちゃってるし」
「色々?」
「その、夜のこと……とか」
「な――っ!」
「それに昨日は寝る前に疲れたって言ってたし、アキラがゆっくりしたいならそれでもいいんだ。一緒に過ごせることには変わりないから」
「……」
 笑顔で告げられた一切悪気のない言葉に、アキラは自分の頬に一気に熱が集まってくるのを感じた。
 まさか、からかってるのか? そう思いかけて、いや、ケイスケだから本気か。と思い直す。
 しかし、その言葉に心当たりと確かな自覚もあるだけに、こみ上げてくる恥ずかしさもかなりのものだ。その上言葉にされたことで昨日の自分の姿が映像となって鮮明にアキラの頭の中で再生される。
「……っ」
 恥ずかしくていてもたってもいられなくなり、アキラは一瞬ケイスケを睨んで勢いよく立ち上がると、掛けてあった上着を手にして玄関へと歩き出していた。

「あれ。アキラ?」
「……行くんだろ」
「え?」
「海」
「えっ? いいの?」

 驚いた声で返ってきた答えからさっきの発言はからかったわけではなく、本気でアキラを心配してのものだとわかった。
 よく考えてみれば、ケイスケはそういう奴だ。すっかり先走ってしまった自分の考えに、呆れるとともにますます顔が熱くなっていくのを感じる。きっとアキラの答えがどうであれ、その体調の事は必ず心配して言ってきただろう。
 ならばもし「今日は疲れたから家にいる」と答えたらケイスケはなんと言ったのだろうか……。
 そう予測しかけて、アキラはこれ以上自分で自分を追い込んでどうする。と、頭を思いきり振った。
 ようやく玄関にたどり着きドアを開けると、涼しい外の空気が頬を冷やして通り過ぎていく。それはオーバーヒート寸前だった頭にはちょうどよくて、アキラは歩きながらゆっくりと深呼吸を繰り返した。
「アキラ?」
「どうした?」
「うん。ありがとう。付き合ってくれて」
「……あぁ」
 笑顔で駆け寄ってきたケイスケが、そう言ってアキラの隣に並んで歩き出した。二人が住み込みで働いている工場から海まではそう遠くなく歩いても十分行ける距離にある。
 その道を歩きながらようやくいつもの冷静さが戻ってきたアキラは、隣で工場の事を楽しそうに話すケイスケの声を聞きながら、海までの道を進んでいった。


「ね、アキラは覚えてる?」

 砂浜まで降りて水平線を見つめるアキラに、少し後ろからケイスケは問いかけてくる。
 何を? と聞き返そうと、後ろを振り返ると、真っ直ぐにアキラを見ていたケイスケの視線とぶつかった。
「孤児院で、一回だけ海に行った事なんだけど……」
「……海」
「うん」
 そう言われて、促されるようにアキラの意識は記憶をたどりはじめていく。
 孤児院での思い出。それはアキラにとってどれももう曖昧なものばかりだ。
 トシマで全てを知った今となっては、自分達が実験に利用されていた事実もあり、全てがいい思い出とは決して言えないだろう。
 海に行った。
 結局その記憶は見つからないまま、それが今の状況にどう繋がるのかもわからずに、黙ったままケイスケを見返した。
「あの時もこんな感じだったなー。俺とアキラ」
 それが覚えていないという答えだとわかったのか、ケイスケは少し淋しそうに見える笑顔を向けてくる。

「……こんな感じ?」
「うん。あ、でもアキラはずっと水平線の方を見てたかな」
「お前は?」
「俺は、アキラと同じ場所にいたくて、でも、邪険にされるのも怖くて、こうやってアキラが見てる海を見てた」

 そんな事が――あったのか。
 海に来た事すら思い出せないアキラには、ケイスケの言葉を聞いてもやはりその時の記憶は蘇らない。
 ただ、今目の前にしているケイスケとの距離を見ると、それはほんの少しだけのはずなのに不思議ととても大きく見える。
「海に来たかったのは、今ならアキラの隣に自分から立てるって確かめたかったからなんだ」
「隣にって、今さらか?」
「うん。あの時は、こうやってアキラが見てる海を見れるだけでよかったから」
「……」
「でも、今は違うかな」
 そう言ってケイスケはアキラのすぐ隣へと歩いてにっこりと笑ってみせる。
 小さな事かもしれない。
 しかし、この数歩がケイスケにとって、そして自分にとってもどれだけ大きな意味を持つのかは、今のアキラにはわかる気がした。
「ケイスケらしいよな。そういうの」
「え?」
「でも、お前が言いたい事がわかったから、来てよかった」
「……アキラ」
 そのとたんパァっと明るくなったケイスケの表情に、思わず頬に熱が集まったのを感じ慌てて視線を水平線に向ける。
 いつか同じように見た海。
 きっとその時は一人だったのだろう。それで構わないと思っていたのだろう。
 でも、今は違うとアキラにもはっきりとわかった。

 隣にいる存在が、その大切さがちゃんとわかる――。

「あぁっ! そうだった!」

 アキラの言葉に感動していたらしく、瞳をうるませていたケイスケが、突然服の袖で目を拭いながらすっとんきょうな声をあげた。

「き、急に……何だよ」
「今日の特売なんだけど卵なんだ。だからオムライス作ろうと思ってて」
「オムライス……」
「あぁ……今から行っても間に合うかなぁ。アキラを海に誘うのにいっぱいいっぱいで忘れてた」

 今から行って間に合うかな……。と呟くケイスケを目の前にして、アキラはいてもたってもいられなくなり、
「ケイスケ」
 さっきまでずっと向き合っていた水平線に何の未練もなく背を向けると、突然の行動に声をあげる余裕もないケイスケの腕を引っ張って歩きはじめる。

「え? え? アキラ?」
「卵。間に合わなくなる」
「やっぱりオムライス好きだよね……アキラ」
「他の食べ物よりはちょっと好きってだけだ」
「それを好きって言うんじゃ……」
「うるさい」

 そんなやり取りをしながらもまた距離を縮めた二人は、卵の特売をやっている店へと走っていったのだった。




*あとがき*

 ブログで書いてたものをちょっとだけ直して(脱字とか)言い回しも直したものです。
 オムライスネタは、気に入ってくださった方がいたのでそのままにしました。
 題名はつけるのが相変わらず苦手なので、やっぱり相変わらずそのまんまです。
 あー、やっぱりケイアキの後日談も作者様のを見たい!と書きながら思ってしまいます。nとか源泉とかはあるから、ケイアキだけじゃなくてもどんなふうになっていくかってすごく興味が……。
 そんな感じなので、バカップル妄想中心となると思いますが、ケイアキ大好きなのでこれからもちまちまと書いていこうと思います。

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