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篝野行

 

作者: 598
Summary: ギンコ×野萩

 

■ 篝野行 ■

腹の腑を陰火で妁きながら、私は、未だ生きている。

己の罪が、腑を凍えさせる。

死は。

死は、ひどく近い。

■ 篝野行 ■ それから ■

私はなんと高慢な女だったろう。

流しの蟲師、ギンコ。
彼にもう一度見えることができるだろうか。

陰火の幼生に対して策を誤った挙句、
私は陰火を飲み込んでしまった。

独り身の厳しい冬に、私は余命を数えていたのだ。

そんな折、私の便りに応えて、
彼は雪深いこの山里に足を運び、陰火の治療法を施してくれた。

「ゆっくり治していくんだ。少しづつ、確実にな」

降り積む雪の如く静かな彼の、その声を私は忘れないだろう。

■■ 篝野行 ■ それから ■■

彼からの便りが届いたのは、まだ遠くの山々に雪を頂く春浅い頃だった。

「元気か。近いうちに、そちらに寄るつもりだ。焦らず体を大事に」
とのごく短い文だった。

その内容を幾度も読み返し、丁寧に懐にしまった。

便りをもらって一週間後のことだった。
冬名残の寒さが凍み渡る、夕間暮れ。
ちょうど馴染みの童が、手籠いっぱいに早摘みの山菜を届けに来てくれた折だった。

「みく、ナオ。山菜をありがとう、こんなに大変だったでしょう。
これは風邪薬だよ。食後に飲むようにね」
「ありがとう。野萩」
童らを覆うように影をつくって飄々と現れたのは、ギンコだった。
「よう。元気か?」
「蟲師の兄さんだ」
「ああ、ギンコ。久しぶりね」
「僕たちも里も元気だよ」
「じゃ、私は今からこの人とお話があるから、
お前達は明るいうちにお帰り。お家の人にも宜しく伝えておくれ」



はしゃぐ二人を見送って、彼女はギンコを家に招き入れる。
熱い茶と里で作った甘いゆべしを添えて彼をもてなした。

「便りをありがとう。お元気そうで、何よりです」
「そっちこそ、体は大丈夫なのか?」
「まだ草を吐いているけれど、咳き込むことも少なくなったし、回復にむかっています」
「…そうか、よかったな。まぁ焦らないことだな」
「…ええ、わかっています。今日は何の用ですか?」
「調書を、少しみせてもらおうと思ってね」
「もちろん、それは構いません。でも今日はもう遅いし夜道も暗い。
 野宿には冷えるでしょう。家に泊まって明日にしたらいかがです」
「それは、ありがたいことだな。じゃ、好意に甘えさせてもらうよ」

暖かな囲炉裏そばで、夕餉は件の山菜尽くしである。
彼はさまざまな土地で見聞きした蟲の話をしてくれた。
里住みの彼女には、十分に参考になるし、興味深く頷く。
饗された酒も次々と乾されて話は進む。



蟲話も一区切りついて、静かな静寂が辺りを覆う。
囲炉裏に香木でもくべたのだろう、よい香りがはぜている。

「そろそろ夜も更けてきたな」
「そうね。隣りに布団を敷いているわ」

ギンコが襖に手をかけようと立ち上がると、野萩は彼の腕をとった。
床をみつめたまま、小さく呟く。

「…あの、私、ずっと…あなたに謝ろうと思っていたの」
「…何を?」
「この里の陰火のことで」
「すんだことは、もういい」
「でもっ」
「方法と結果はどうあれ、あんたは村を守ろうとした。
 里もあんたも今回のことで十分学びになったのであればいいだろう?
 それとも里人がその件で責めるのか?」

苦い険しい声でギンコは問うた。
「…里の人たちは、相変わらず私を頼ってくれている」
「なら、それはいいことだろう?」

「ギンコ、あのね」
「ん?」

問うが早いか、野萩は彼に抱きついた。
抱きつくというより、しがみつくといったほうがいいか。
何かに必死に耐えているようでもあった。



喉に異物を感じ、咳き込む。何枚かの枯葉を吐き出した。
それは、以前ほど禍々しさはなく、脆く枯れた葉だった。

身の内に棲む陰火の幼生だ。

自虐的な笑みがこぼれる。

「…私。この冬の間、いろいろ考えたの」
「人と蟲の在り方とは、なんだろうって」

私は、この村が、この里が本当に好きだった。
早くに両親に先立たれ、孤独な私を、慈しみ養ってんでくれたのはこの里の人々だった。
だから、せめて里に必要とされたくて、一生懸命に学んだのに。

「…『ただ、あるように、あるだけ』だろう」
「……ギンコ」

誰も私の失態を責めはしなけれど、この里は豊かな山の幸を喪った。
その責を負うのは、私なのだ。

不意に涙がこぼれてきた。

私は「だれかにもういいのだ」と許してほしかった。
けれど、里人の前で泣くことは、自負が勝る。
この行きずりの彼の前でなら、弱音もみせることができる。

「つらかったんだろう、野萩。だれも、なにも悪くないんだ」

そういうと、彼は頬の涙を拭ってくれた。
無骨だが、確かな偽りのない優しさがあった。



彼にしがみついて、堰切ったように泣いた。
声をあげて泣いたのは、本当に久しぶりで。
その間中、彼はゆっくりと私の背をさすってくれた。

「…もう、落ち着いたか?」
「…ありがとう。本当に申し訳ないばかりで…」

「『里住み』になる、ということは、多くの人の営みを負うことだ。
あんたは、本当によくやっているよ」
「…まだまだ精進が必要だけどね」

彼の頬に手をのばした。やわらかにゆっくりと口づけをした。

間近でみる彼の眼は、昔川辺でみた美しい鳥によく似ている。
あの鳥はなんという名だったろうか。

あるいは、この里の喪われた豊かな緑にも似ている。

「…野萩?」
「陰火のせいで体が冷たいんだ。今宵はそばにいてもいい?」

そう告げると、布団の上に絡み合うように崩れていった。
ギンコは野萩に組み敷かれながら冷静だった。
彼女の両頬を包み、低く呟いた。

「俺は男で、あんたは女だ。だから温めてやるには、あんまり方法がない」
「それでも、いいんです」
「泣いた女を抱くのは気がひけるんだがな」
「あなたが、笑わせてくれればいい」

――この里を救い、私を許してくれたお礼がしたいから。
     そうして、この春もこの先も私が生きれるように。――



ギンコは、小さく笑うと、体勢を入れ替えた。
彼女の艶やかな黒髪が敷布に孤を描く。

野萩は承諾の意味を込めて、彼の首に優しく手をかけた。
白く細く腕は、だが、陰火のせいかほんのりと冷ややかだった。
彼女は、ギンコの顔を探り引き寄せた。
さらさらと流れる白銀の髪。そして不思議な緑の隻眼。
ずっと気になって、彼の瞳の色を問うてみた。

「…きれいな色だねぇ」
「翡翠という鳥の羽色によく似ているそうだ。残念ながらまだ見たことはないのだが」
「ああ、そうだね」

彼女は得心がいったとばかり朗らかに笑みを返すと、長い口づけ甘さに酔いしれる。


ギンコは思う。

この共寝は、淋しい彼女を一刻温める術にすぎない、と。
けれど、それでも、彼女の救いとなり、命が繋がるのなら。
ただ、慰めでなく、優しく温めてあげたいと。


夜は更け、淡くも冴え渡る月明かりだけが二人を煦める。


春は未だ、冬のまどろみに。
彼らは二度とは交わらぬ夢を紡ぐ。


やがて、すべては芽吹き、命が萌え出づる次の春に、
だれかの命の焔も、再びようようと長らえるのだろうか。

■(了)■

 

 

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