筆の海 |
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作者: 218 Summary: ギンコ×淡幽 |
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私があの男から教わった愉しみ。 生物と蟲が共に生きる話。 執筆の後の一服。 それから――――。 『筆の海』 私の右足は動かない。 おまけに禍々しい墨色をしている。 怪我をしたわけではない。病が原因でもない。 私の足には、蟲がいる。 全ての生き物を消し去ろうとする、恐ろしい、恐ろしい蟲が。 私の役目は、この蟲を眠らせる事。 先祖から引き継がれてきた、これは狩房家に筆記者として生まれてきた者の宿命。 この蟲を眠らせる事は、代々の筆記者にしかできない。 蟲を屠った話を紙に記す――筆記者の体内に、墨となって封じられている蟲を、文字の形に変えて。 紙に記すときには、激痛が走る。 しかし、間違いは許されぬため、集中の糸を切らしてはならない。 私は右足の墨が、全て文字となって記されるまで、この作業を続けなければならない。 右足全体に広がる黒い墨が、体から出きるまで、途方もない時間を要する。 一つの話を巻物に写しても、文字として出ていく墨の量は微少だ。 私はこの蟲を完全に眠りにつかせるまで、屋敷から出ることも叶わない。 人里離れた辺境の地で、今日も蟲を殺した話を書き記す。今日も蟲を封じた文字の海に溺れる。 この暮らしの中で、私に数少ない愉しみを教えた男が、一人いる。 その男は旅の蟲師で、名を、ギンコといった。 蟲を屠った話を聞くために、屋敷には様々な蟲師が招かれた。 だが、ギンコはどの蟲師とも、違っていた。 蟲に対する、奢りも嫌悪も感じられなかった。 むしろ、親愛の情さえ、抱いているように思えた。 体内に蟲を抱え、蟲の話を記して生きている私もまた、いつしか蟲を憎むことはできなくなっていた。 ギンコは旅の途中に気が向くと、私の屋敷を訪れた。 私はギンコの話を愉しみに、暮らすようになっていった。 旅の蟲師は、蟲を寄せる体質の者が多いと聞く。 その体質は、いつ命を落としても不思議のない、危険なものなのだという。 ギンコの髪は雪のように白く、瞳は翡翠色をしていた。 その特異な容姿が何によるものかは、分かっていないらしい。 幼少の記憶すら残っていないというギンコは、しかし、飄然と生きていた。 この男もまた、なんらかの蟲の影響を、その身に抱えているに違いない。 単なる勘でしかないが、私の勘は当たるのだ。 悠然とした態度でいるくせに、不意に、この男の存在を危うく感じるのは、その為ではないかと思える。 ギンコが無事に屋敷を訪れるたび、私は秘かに、胸を撫で下ろした。 飄々と生きているこの男が、いつか、風のように消えてしまうのではないか、という恐れを、私は抱くようになっていた。 その日、男はいつもと同じように、葉巻の紫煙を燻らせながら、ふらりと現れた。 「よう、淡幽」 その白い前髪から覗く、翡翠色の右目を見つめながら、私は人知れず、安堵の溜息を漏らした。 この男が生きていてくれることが、こんなにも有難い。 生きて私の名を呼んでくれることが、こんなにも嬉しい。 身のうちに湧き上がる喜びが、私を暖かい気持ちにさせる。 男の声を聞けたことが嬉しくて、本当は飛びつきたいくらいだったが、抑えた。 あまりにもこの男が悠然としているので、私だけが喜んでいるのは、癪に障る。 軽く口元に笑みを結ぶ。あくまで、さりげなく。 「生きていたようだな、ギンコ」 結局、いつものように軽口を叩く。 いつものように話始めて、そのまま、執筆に入る。 「終わるまで、そこにいてくれな」 執筆中の姿は、付き人のたまの他には、ギンコにしか見せたことはない。 集中力を要する作業であり、激痛を伴う。執筆中は大変無防備で、危険な状態になる。 信頼を寄せた相手でなければ、側に人がいて、できる作業ではない。 不思議と、この男には、見せても構わないと思える。 見られていると、かえって安心すらする。 「……ッう…ッ……ん……ッッ」 右足から墨にされた蟲たちが、文字となって、私の体から這い出す。 痛みは全身を雷のように貫く。汗が滲んで、額から顎へ伝う。 私が筆記を行っている間、ギンコは静かに、私を見守っている。 目を開かずとも、わかる。 あの視線が、私を包んでいるのを、感じるから。 静かで、穏やかで、柔らかいようで、鋭い。冷たいとも、暖かいとも判別のつかない、翡翠色の瞳。 その瞳に見つめられると、私はほっとする様な、不安になるような、矛盾した気持ちになる。 それでも、その瞳の中に、居たいと願う。 これは、私だけの、秘密だ。 この気持ちをなんと呼ぶのか、私は分からない。 しかし、呼び方など、分からなくともよい。 ギンコがここに来て、言葉を交わし、私を見てくれるのなら、それでよい。 執筆中、ギンコに見つめられている、この瞬間が、何よりも好きだった。 痛みすら忘れて、恍惚となる瞬間すらある。 あの瞳で見つめられているかと思うと、体の奥の深いところから、甘い痺れが全身に拡がる。 これが私の密かな愉しみ――だったのだが。 「おい、大丈夫か。顔色悪いぞ」 執筆を終えて、私が足を崩した時だった。ギンコがゆっくりと立ち上がって、私の前に腰を下ろした。 そのまま、覗き込むように私を見つめる。 「おたまさんに、布団敷いてもらうか?」 私の頬に軽く触れて、伝った汗を拭ってくれる。そのギンコの指の動きに、暫し、陶然となる。 白くて長い、ギンコの指先。注意して他人の手など見比べたことはないが、きれいな形をしていると思う。 繊細でしなやかな印象だが、その手は私のものとは大いに異なる。骨ばっていて、大きい。「男の手」だ。 触れられると心地よくて、溜息が漏れそうになる。 しかし、表情にはおくびにも出さずに、私は言った。 「大丈夫だ。このまま軽く休めば、元に戻る」 五寸と離れぬ距離に、あの瞳があって、私を縛る。 目を、逸らせなくなる。 「この石のような右足が動かせるならば、お前と外でも出歩くのだがな」 このまま目を合わせていると、瞳から想いが見透かされそうで、私は話題を逸らした。 ギンコの視線が私の墨色の右足に移る。 「この足、感覚はあるのか?」 「……ない。本当に石のようで、自分のものとも思えない」 視線を外されて、少しほっとしたのも束の間、次の瞬間、私はまた息を呑んだ。 ギンコの白い指先が、私の墨色の足首を掴んでいたから。 「これも感じないのか? 何も?」 医者が触診しているような手つきで、ギンコの指が私の足に触れた。 足の感覚など、ほとんど無い筈なのに、私はギンコに触れられた箇所を、熱く感じた。 動揺を気取られないように注意しながら、私は口を開いた。 「……わからない。足の先のほうは、温度も感じない」 嘘ではなかった。普段は本当に、そうなのだから。 「先のほうは……ね。じゃあ、この辺はどうだ?」 ギンコの指がすすす、と動いて、私の脹脛まで這い登った。 私は驚いて、声をあげそうになったが、ギンコが至って普通にしているので、耐えた。 ギンコの視線は私の右足に向けられたままだ。 その瞳は純粋な好奇心だけで、そうしているように見える。 私は、頭の芯が痺れていくような感覚に陥りながら、答えた。 「………感じない」 「へえ… じゃあ、ここは?」 ギンコの右手はなおも伸びて、袴の中に潜り、私の腿まで伝ってきた。 ギンコとの距離がまた縮まって、彼の右頬と私の右頬が触れそうになる。 私はギンコと視線を合わせることはおろか、顔も見ることも出来ない。 全身が心臓になったように、自分の鼓動を大きく感じた。 本当は、今ギンコが触れている部分は、墨もだいぶ薄れて、皮膚の感覚も取り戻しているのだが、私はあえて、先刻と同じ答えを返した。 「…………何も、感じない」 「ふぅん……この辺りなんかは、随分柔らかくなってんのにな…」 ギンコの掌がゆっくりと、私の太腿を撫でさする。 ぞわぞわと、小さな蟲が這い登るような感覚が、背筋を走った。 「……っ」 私は小さく息を呑んだが、あくまで平静を装い続けた。 「……随分とまだ、墨の痣が残ってるんだな…」 ギンコが残念そうに溜息を漏らすと、それが私の首筋を掠め、私をぞくりとさせた。 ギンコの指先が触れている、腿の内側が、異様に熱く感じられた。 漏れそうになる声を堪えて、私は呼吸を整えることに集中した。 だが、抑えよう、鎮めようと思えば思うほど、体の熱は増幅されて、体の中心から抗いがたい疼きが沸き起こってくる。 体の奥が何かを求めて、収縮しているのが分かった。 すぐ近くで、あの瞳が私を見つめているのを感じて、私は強い眩暈を感じた。 ギンコは暫く、私の太腿を優しくなで続けていたが、不意に私の耳元に唇を寄せると、低い声で囁いた。 「無理は体に良くないぞ? 淡幽」 驚いて横を向くと、にやり、と笑った翡翠の瞳と目が合った。 「な……何のことだ…?」 注意深く尋ねると、意地悪そうに歪んだ唇が近づいて、私の耳朶を甘噛みした。 「我慢すんな、ってこった」 言うが早いか、私の後ろに回りこんで、左腕で私を抱きすくめる。 右手は私の袴の中に差し込まれたままだ。 背中に厚い男の胸板を感じて、僅かに動揺してしまう。 「……どうしたのだ、ギンコ。私は何も我慢など…」 言いかけたが、ギンコの指先が、私の腿の付け根の、かなり際どい部分に触れて、思わず唇を噛み締めてしまった。 そうでもしなければ、みっともない声を、この男に聞かれてしまいそうだったから。 「本当に、何も感じないのか…?」 耳元に、明らかに面白がっている、ギンコの声が響いた。 ―――……くそ。この男、いつから気づいていたのだろう。 気に入らない。癪に障る。 いつも私ばかりが見透かされる。 私はこの男の本意がどこにあるかも分からぬまま、気持ちを翻弄され続ける。 ギンコは私の耳の付け根に、熱い舌を這わせて、息を吹きかけていた。 右手は相変わらず私の脚をさすり続けたまま。たまに喉をクックッと鳴らしながら。 ふざけている。 完全に玩具扱いだ。 私は気持ちを抑えて、静かな口調で、言い放った。 「…………何も、感じないが?」 暫くの沈黙の後、背後で男の、少しムキになった声が聞こえた。 「…………ほぉーお?」 機嫌を損ねたらしい蟲師は、私の袴の裾を無理やりたくし上げて、その腕をさらに奥へと捻じ込んだ。 「思っていたよりも、墨に侵食されている箇所が多いんだな」 言いながら、今度は脚の間にある柔らかい花弁に指先を強く擦りつける。 「ん……ッッ…」 男の指がもたらす刺激に、全身が震えた。 必死で、声を噛み殺した。 もしも、たまに知られたら、という心配もあった。 だが一番は、この男の前で声をあげることが、白旗をあげることを意味しているようで、嫌だったのだ。 私の気持ちに気づいているのか、不埒な蟲師は私をさらに追い上げる。 「ここも感じないのか……。 じゃあ、ナカはどこまで侵食されてんだ?」 もはや、これは我慢比べのようなものだった。 しらを切り通して私が勝つか、私に声をあげさせて、ギンコが勝つか。 ギンコは緩急をつけて、実に巧みに、私を攻めた。 肉の芽を嬲り、花弁を押し広げ、その入り口を擦りあげた。 男の指で肉の芽を弾かれるたびに、私は体を痙攣させたが、声だけは漏らさなかった。 強すぎる刺激に、目が眩んで膝が震えた。 次々と襲ってくる、快楽の波に攫われないために、私の両手は縋るものを求め、近くにあったギンコの服の裾を握り締めた。 涙が滲んできて、目の端に溜まった。 唇を強く噛み締めているので、呼吸が鼻から漏れて、小鼻が膨らんでしまう。 ギンコからは見えないと思うが、恥ずかしくて堪らない。 私はギンコに背中を預け、膝を立てたまま、大きく開脚させられていた。 袴の裾から差し込まれた男の腕が、中で妖しく蠢いている。私の一番恥ずかしいところを、弄っている。 はしたない、淫らなことをしていると思うと、余計に体の熱が増した。 だんだん、思考が停止してきて、このまま、この男に身を委ねてしまいたい、という衝動に駆られる。 もっと、かき回して。もっと、強く。もっと、激しく。 はっと我に返って、意思を強く保とうとするが、男の指が花弁の奥まで侵入してきて、私の思考は掻き消されてしまう。 そのまま容赦なく、男の指は私の中を擦り続ける。 「ふうぅっ……んん…ぅ……っっ!!」 微かに鼻から声が漏れてしまった。 顔を真っ赤に染めて、目を瞑る。 恥ずかしい。はしたない。馬鹿みたいだ。 だが、蟲師はおかまいなしに私を嬲り続けた。 指を折り曲げて、内壁を引っ掻く。指の数を増やして、バラバラに中で動かす。 私の奥からはとめどなく淫液が溢れて、ギンコの指をしとどに濡らした。 「ギン……ッ…ぁうっ…もう……やめ……ッッ」 鼻にかかった泣き声を出しても、ギンコは止めてくれなかった。 背後から私を強く抱きしめて、指の動きを一層激しくした。 「ん……ぁ…あッ……だめ…ッ…何か……くる……ッッ」 私は今まで感じたことのない感覚に、恐れを感じた。 心臓が早鐘のように、脈打った。 激しく出し入れされる男の指が、水気を纏って音を響かせた。 私の袴は当の昔に、股間の部分の色が変わるほど、濃い染みが出来ていた。 これ以上の快感に晒されるのが怖くて、私はギンコのシャツを強く握り締めた。 呼吸もうまく出来ないでいる私に、ギンコが小さく耳元で、イケよ、と囁いた。 その声を聞いた途端、私の頭の中で、何かが真っ白に弾けた。 「ふぁ……っ…ぁあっ……ぁあああんッッ……!!!」 ギンコの指を銜え込んだまま、私の股間から、熱い何かが迸った。 私は生まれて初めて、絶頂というものを、知った。 まだ、呼吸が整わない。 からだが熱くて、力が入らない。 軟体動物とか、粘菌とかそういう、必要以上に柔らかい生き物になってしまった気分だ。 見上げると、翡翠の目をした男が、私を見ていた。 「顔色、良くなったじゃねぇか」 にやり、と笑う。 粘液で濡れ光る己の指を、これ見よがしに舐めあげながら。 ああ、悔しい。 たまには気づかれなかったようだが、この男にはあられもない声を聞かれてしまった。 苦虫を噛み締めたような私の顔を見て、ギンコが笑った。 「まあ、そんな顔すんなって。……楽しかっただろ? お前も」 言われてみて、思い返す。 楽しかったような、腹立たしかったような……。 それでも、と私は思い直した。 この男が嬉しそうに細めている瞳の中には、私しか映っていない、という今の状況は、それ程悪くないのかもしれない。 「……今度は、負けんからな」 私が微笑んで呟くと、ギンコはしまった、という顔をした。 「煙管を吸わせた時でさえ、おたまさんに叱られたってのに、 こんなこと教えたと知れたら、俺ぁ、殺されるな」 「はははは……私が勝つまでは生きていろ。勝ち逃げは許さんぞ」 私が笑って命令すると、そりゃ、一体いつまでかかんだよ、と手練に長けた蟲師は嘯いた。 目下は私の汚れてしまった袴と、皺だらけになってしまったギンコの服を、たまにどうやって言い訳するかが問題である。 私たちは二人で頭を寄せ合って、笑い転げて時を過ごした。 私がこの男に教わった愉しみ。 生物と蟲が共に生きる話。 執筆の後の一服。 それから――――。 またひとつ、愉しみが増えてしまった。 <了>
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