落星





「夜空って綺麗だと思わない?」


 窓際に立つ人族の姫は俺に向かい、憂いを込めたような声で唐突にそう尋ねてきた。


 全身を堅い鱗に包まれた――――俗に「竜人族」とも呼ばれる爬虫類の亜種である――――その異形な見た目にも臆することなく、一事が万事、彼女は見張り番である俺に毎日毎夜こんな風に話し掛けてくる。
 それが彼女元来の気丈な性質からなのか、それとも「竜人族の王に対する献上品」という身分がもたらしたモノなのかは俺には判らない。

 ただ、目の前にあるのは彼女が会話を求めているという事実。

 それだけである。


 正直最初の方は話し掛けられているのを知りながらも無視を決め込んでいたのだが、彼女があまりにも悲しそうな顔で「まさか言葉が通じないだなんて……どうしましょう。竜人の言葉は王宮で習わなかったのに……」とかなんとか呟いた後「がうがうがー?」とか真顔で言うもんだからうっかり盛大に噴き出してしまい、それ以来無視することも出来ず何となくずるずると生温い会話をし続けている。


 人のこと、竜のこと、そして…………


「私、夜空を見ているのが好きなの」


…………空のこと。


「何億光年も向こうの星々の輝きが、こうして私たちの元まで来るの」

 とってもロマンティックじゃない?と彼女はくすくす笑う。
 その愉快そうな顔とは裏腹に、彼女の行動を制限する為嵌められた鉄格子の隙間から空を覗き見る姿はとても哀れに見えた。

 牽いては、彼女が好きだというその風景自体が彼女の自由を望んでいないようにさえ。

「…………空は、嫌いだ」

 思わず、ぽつりと零す。
 はっとして前を見ると、彼女が驚いたような顔をしているのが見えた。

「あんな無駄に広いもん、楽しくも何ともねぇよ」

 取り繕うように慌てて繋げた文句もまた、ある種の本音だった。
 どこまでも広がるように見える自由。
 それに、限りがある。いや、限りは無いが自分の能力では限界があるという事実。
 それは、有翼の亜人である自分にとっては堪らない苦痛であった。
 高みを目指す為に何代もの進化を重ねて得た物が無意味であると、そう嘲笑われているようで嫌だった。

「結構硬い考え方をする人なのね」

 ぼそぼそと話した本音を、彼女は笑いながら一蹴する。

「……何とでも言え」
「またそうやって拗ねる」

 自分の悩みを、彼女はいつも笑ってくれた。
 「大したことないじゃない」と。

「いいじゃない。あなたは翼があるから」

 今日も、そうだ。

「私には飛べない空が飛べる。それだけで立派に自由なんじゃない?せせこましく地べたを這いずり回る私から見たらとても素敵な身分に見えるけど?」
「……随分と斜に構えた物言いだな」
「僻みよ、僻み」

 溜め息混じりに問うた言葉にどこかおどけながらそう返した彼女は、急に畏まったような顔をして続ける。

「……ねぇ」
「………………何だ」

 その唯ならぬ雰囲気に些か萎縮しながらも、辛うじて聞き返してみる。

「貴方、せっかく翼があるんだから私を連れて飛んでみない?」

 返ってきたのは俄かに信じられない答え。

「……本気か?」
「当たり前じゃない。一度行ってみたかったのよね、星の近く」
「あのなぁ……」

 ここから見るよりも大きく輝いてみえるのかしら、あまりに輝いていて目がやけちゃったらどうしよう……などと好き勝手話し続ける彼女に閉口しながらも、俺は言う。

「そもそもあんたは王への献上品で、言い方を変えると捕らわれの身であって、そんなことの許される身分じゃ……」
「嫌なの?」

 私と一緒に飛ぶのが。


 真顔で問う、姫君。

「…………そういう訳じゃ」
「ならいいじゃないの」

 眼前の真摯な眼差しに降伏した俺を放置し、決まりね!と1人手を叩いて彼女は続ける。

「鉄格子は昨日のうちにネジを取っておいたから今すぐにでも大丈夫よ」

 そう言って軽々と鉄格子を外してみせる彼女……まったく、大した女だ。
 彼女に感づかれないよう小さく溜め息をつきながら、その華奢な体を抱きかかえる。
 軽すぎる、とも思えるその体躯の持ち主が、振り落とされないようしっかりと俺の首に腕をかけた。


「…………知らないからな」


 微かな呟きを残し、俺は窓枠を蹴る。
 刹那、天高くまで飛翔。
 首にかかる腕に力が籠もる。
 その感覚に薄い笑いを浮かべながら、俺は空中で三回転してみせる。

 腕の中で小さな悲鳴。

 空中で、静止。


「ほら、な。空なんてろくなもんじゃないだろ?」
「意地悪」
「おや、御存知なかったのですか?」

 わざとらしく軽口を叩いてみせると、姫がくすくすと笑う。
 それが、たまらなく、愛しい。

「ねえ」

 姫が、俺の目を見て言う。

「もっと星の近くに行きたい」
「…………」
「お願い。一度でいいから、間近で星を見てみたいの」

 ……全く、この顔には弱い。

「ちゃんと掴まってろよ」

 更に、上空へ。自らの限界、薄くかかる雲の上までも昇る。

「…………わぁ」

 突き抜けた先、真上に瞬く星の海。

 天然のプラネタリウムのその下で、子供のように輝いた笑顔を見せる姫君。

 それが、一番の輝きだというのに。

「ねえ、もっと上には行けないの?」
「だからなぁ、俺にだって限界が……」
「あの一番星に、触ってみたいの」

 それが出来たら、自由になれる気がするの。と彼女は続けた。

 ……勿論、それが不可能なことは彼女も承知の上だろう。
 触れることも、自由になることも。

「あの星は、近いように見えて遠くにあんだろ?だから、触ることは出来ない」

 わかっていても、願いを託したかったのだろう。
 唯一閉め切られた部屋から見えた、自由に。

「それに……あんたも前に言ってただろうが。「何億光年も向こう」って。「輝いてるように見えても、とっくに無くなってるかもしれない」って。あの星だって、もしかしたらそうかもしれないだろ」
「…………でも、輝いてる」

 姫君が静かに、だけども心の奥に染み入るような声で言う。

「例えその身が滅びていても、この日、この一瞬を「輝き」として残すことが出来たら、未来永劫「輝き」を伝えてもらえたら、輝いていられたら、それが本望なんじゃない?」
「…………まあ、な」

 姫の気迫に、半ば押し切られるような形での同意。
 何とも釈然としない気持ちを紛らすように、右頬を掻いてみた。

「ねえ」
「何だよ」

 気恥ずかしさから怪訝な顔をしてみせた俺の頬に、暖かな口付け。
 突然のことに呆ける俺に、微笑みながら彼女が言う。

「……忘れないで、私の輝きを」






 身を捩らすようにして、俺の腕の中から、身体が、抜け落ちる。



 伸ばした手は、届かずに。



 叫んだ声も、いたずらに空を裂くだけで。



 重力に従って下方へと移動していく「輝き」を、一番星を。この夜空で一番輝くものを、一番守りたかった「輝き」を。





 俺は、助けられなかった。




後書き
異種族間の恋愛とかふおぉぉぉってなります。
もっと増えるといいなぁ。友情でも満足だけど。
09/11/01

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