鉄人形

 




 研究所の気が滅入るほどに真っ白な色をした壁と、対を成すような黒色の珈琲。


 それが並々と注がれたカップを、青年は音を立てることもなく慣れた手つきで運ぶ。
 一般的な感性からすると熱すぎるくらいの温度をもつその液体を「冷え切った心に沁みてたまらないんだ」と、彼に珈琲を頼んだ男

は言った。その主張は今一つ理解出来ないものであったが、特にその言葉に嘘偽りはないようなのでとりあえずは望まれた通りに作り

続けている。

 そういえば6日ほど前に「お前も飲んでみろ」と言われたが丁重に断った。「僕には過ぎたものです」と言ったときのあの表情もよ

く解らないものだった。あの人は、この研究所の壁のように判りやすい色でありながら、自分にはこの黒い珈琲のように底が見えなく

、訳の解らないものに思えてならない。


 少しばかりそんな雑然とした思考を巡らせながら備えつけの小さなキッチン――とは名ばかりの申し訳程度にコンロと流しが設置さ

れているだけの寂しい空間――を出て、その隣室、ラボの自動扉を抜ける。モーターの駆動音に満たされたその奥で成人男性の身長程

の幅は優にあるであろう大型のディスプレイに黙々と向かう男へと彼は声をかけた。



「博士、珈琲が入りました」
「ああ、ありがとう。そこに置いといてくれ」
「わかりました」


 青年が置いたカップを「博士」と呼ばれた白髪混じりの男性は即座に手にとり、飲み下す。先程淹れられたばかりである筈の熱い液

体は一気に彼の中へと飲み込まれ、すぐに消えた。


「……相変わらず私の好みを的確に突いてくれるな」


 そう言いながら些か無神経に男が置いたカップはバランスを崩し、机の下へと落下。床面と接触する寸前、青年の、異様なまでに白

い手がそれを阻む。


「ロボットですから」


 それくらいわけありません、とカップをいつの間にか手にした受け皿の上へと戻しながら感情も無くそう答えた青年の形を模した機

械人形に、男は苦笑しながら呟く。


「まあ……そう、だがなぁ……もう少し言い方、ってのがあるだろう?」
「努力します」


 白髪混じりの頭を掻きながら一言一言を絞り出すように提案した男とは対照的に、間髪を入れることなく青年はそう言い放ち軽く頭

を下げた。そのまま無言で彼はラボから出て行く……おそらく、珈琲のおかわりを注ぐために。



「……そういうとこは気がきくんだがなぁ」



 部屋を出る青年の背中を見つめ、彼は長い嘆息を吐いた。
 それは、決して気の回らない自らの発明品に対する呆れた気持ちからではなく、自らの無能を嘆いてのものだった。







 人類の英知の結晶であるロボット工学の第一人者と呼ばれることも少なくないこの男の苦悩を、誰も知らない。
 彼がその研究の成果を売りさばき、巨万の富を貪って豪遊していると思っている世間の人々がそんなことを知るはずが、ない。


 己の奢りであの、にこりとも笑わない「人」を作り出してしまったという業。
 それが彼を悩ませるのだ。



「ユート」


 白髪混じりの男は何かを決心したような神妙な声で、珈琲を持ち戻ってきた青年にそう声をかけた。



「何でしょうか」
「実験だ」


 ついてこい、と無碍に言い放ち、訝しがる機械人形を尻目に彼は研究室の扉へと向かい……突如、そのまま床へと倒れた。
 薄れ行く意識の中、視界の片隅に割れてしまった愛用のカップと、黒い液体を見る。香ばしい匂いが鼻孔を擽る心地よさに、男は微

笑んだ。



「(――――取り乱してくれたのか)」


 私のために、なんて考えがふと浮かんで、消えて。





 

 次に男の意識が戻ったとき、自らが身を預けるのは先ほどの研究室の無機質な床などではなく、上質に設えられた寝台であった。


「……まあ、当たり前か」
「もう少し違った場所がよろしかったでしょうか」


 寝室の扉の脇に立つ機械人形がそう問うてきて、男は思わず苦笑した。


 私の言いたいことなど、わかって、いるだろうに。
 それでも問うてくるところが、人間らしくもあり、機械らしくもあって。


「違うよ」


 男は苦笑するしかなかった。


「私が言いたいのは、だ。こう不意に倒れてしまうのもしかたのないことかという……」
「これ以上の研究は、無意味です」


 突然の言葉に、白髪混じりの男は面を食らったような顔をし……すぐにまた微笑む。


「でもなぁ……ユート、」
「……僕は、ロボットです。それが事実なんです。だからそんな研究は無意味です」


 このままでは数日もしないうちに体調を崩してしまいます、と青年は間髪を入れず、抑揚の無い声で男を叱責した。



 五感を用いて周囲の情報を取り込み、自ら思考判断し、最適な決断をすることの出来る、人間と寸分違わないであろう青年型ロボッ

ト。
 この人類史上最高の傑作とも言える作品を作り出した男は、それでもまだ研究を続けている。




 それは、自らの「息子」とも言える青年に感情を与えるための研究だった。



「いや、あと少しなんだよ。大丈夫」


 微笑みを絶やすことなく男はそう言い、寝台から降りる。一瞬のふらつきの後、それを誤魔化すかのように大袈裟な動作で椅子にか

けてあった白衣を取り、袖を通す。


 そんな言葉を、強がりを、確証のない文句を、もうどれほど聞き続けたことだろうか。
 机上に散乱する資料は、言葉とは裏腹に積もっていくばかりだ。


 無論、優秀なロボットがそれに気付かないはずもない。


 それでも指摘しないのは、それを追及したところで彼が研究を投げ出さないことが明らかであるからだ。



「あと…………少しなんだ」



 史上最高と言われる知能を持った男の、総てを賭けた挑戦。
 それを阻むことも、力添えすることも許されない苦痛。



 答えは、持っているというのに。



「……博士、僕は」



 貴方の息子にはなれないんですよ。




 呟いた言葉は誰の耳に届いたわけでもなく。









「何故だ……何で……何が足りない……っ!」


 書類の山の中頭を抱える男に掛ける言葉を計算する。
 解はない。
 何を言ったところで、彼の助けにはなれないことは明白で。
 かといって黙ったところでそれが好転のきっかけとなるわけでもなく。


「もう、やめてください」


 使い古された言葉では彼を止められないとはわかっていても、言わずにはいられなかった。


「僕は、心なんてなくても大丈夫ですから」
「…………違うんだよ、ユート。これは、私の、研究なんだ」


 笑いながら言い訳を放つ姿が痛々しくて。
 その痛い姿を作ってしまったのは自分の存在だということもわかっていて。



 ――――生まれてこなければよかったのだろうか。


 ふと、そんな思考が過ぎる。
 自分が生まれてこなければ彼がこんなにも苦しむことはなかったのだろうか。



「…………ごめんなさい」
「……何を謝る必要があるんだ?」

 謝るのは、私の方だ。と男は呟いた。

「お前に……感動も、幸せも、私が持っているものを、殆ど与えられていない」


 男は泣き笑いのような表情で青年を見つめ、言い放つ。


「本当に……不甲斐ない父親だよな」
「博士……」
「いや、気にしないでくれ。さあ、実験に取りかかろうか……」


 立ち上がった男の手を、縋るような手つきで青年が掴む。
 

「ユート……?」
「……博士、僕が心を持てるかもしれない方法があります」


 突然の、言葉。


「……本当か?」
「ええ、多分。この方法で無理なら……」


 僕が心を持つことは永遠に不可能でしょう。


「それでも……可能性があるなら私はその手段に賭ける」

 それがお前を生んでしまった、私のケジメというものだ。



 男の決意の言葉に、青年は俯く。




 ――――ああ、やはり。

 ――――僕の命なんか、望まれてなかったのか。



「何があっても、いいですか?」



 ――――それでも、たとえ望まれてなかったとしても。



「ああ、それ以外無いと言うのなら手段は問わない」
「…………わかりました」



 ――――僕は貴方の助けになりたいし、




 青年は右手にナイフを持つ。
 驚いた顔を見せた男を気にすることもなく、そのまま青年は自らの首筋に持って行く。



 ――――実験も成功させてあげたいんです。



 それは、全く持って予測通りに動いた。
 自らの腕も。
 ナイフの道筋も。


 止めに入る、貴方も。 

 

 その腹部を切り裂く左手の刃物も。





 全く、予想通りに動いて。









「博士、やっぱり僕が心を持つなんて無理ですよ」







「だって、貴方が死んだのに全然悲しくないんですもん」






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