王様という身分はイイものだ。


 昔馴染みの朱いガウンを翻しながらそう思う。
 紅色の絨毯を闊歩する、僅かそれだけの行為が過大な意味を含有する。
 行く手に立つ王宮の兵士達は前触れもなく突然現われた君主の姿に響めき、怠けていた姿勢を正し整列する。
 身分を象徴するように頭上で輝きを放つ黄金色の冠が、照明器具の光を反射しその威光を四方八方に撒き散らす。



 それらの、当たり前となった情景が、私を酷く苛立たせたことは言うまでもない。



 誰が、私を知っている?


 誰が、私の本当の姿を。


 飾り物に身を包まれ、与えられた物を身に着けるだけの虚ろな生を。




「        」



 私をそんな思考の海から掬い上げたのは空間を劈く耳障りな男の悲鳴で。



「現世ノ王と御見受け致す」


 不意に目の前に現われた、巨大な、そう其れは王宮の天井まで届く程大きな、黒い影がそう宣った。


「如何にも」


 足下にころがる紅混じりの肌色に臆することなく、私は王として、毅然とした対応を返す。何百、何千と繰り返したこの日の為の文言を、一字一句違えずに。
 ふと、もしも此の場で私が対応を変えたらどうなるのであろうか、と考えてみた。何年も何年も繰り返した、あの行動を、私が実践しなかったらどうなるのか、と。しかしそれは思考に昇ると同時に否定される宿命にあった。到底赦される行為ではないと、私の全身が知り、拒んでいた。



 それが、私を形作る唯一の「飾り物」までをも消失させてしまう行為だと解っていたから。




「貴様の名は何だ」


 だから、私は空々しくもこの日の為に覚えた科白を吐くのだ。
 私の価値を失わぬ為に。


「ほう、ほう。此は失礼。我が名は『ヘ※ディ#ーナ§』御主等の言葉では些か発音し難い部分も在るだろうが御容赦頂きたい。此こそ我が真名であるが故、この様な公式の祭典などの場では……」
「御託はよい。無論、虚言もな」


 そうであろう?冥王ハデス、と問いかけると拡がっていた影は集約し、一つの人型を形成し出す。
 それは美男子、と形容すればよいのだろうか。霧散した影から現われたのは白く透き通った肌に静かに燃える炎を思わせる薄青色の頭髪を持つ青年。自身の背丈に見合わぬほどの長さをした闇黒色のローブを揺らすその姿はあまりに彼の――冥府の王という――肩書きにそぐわぬ様で、「王」の形をした私との対比が際立ったように感じた。


「ほう、現世ノ王は冗句が御嫌いのようだな。これは失礼した」
「なに、嫌いなのは冗句ではない。余裕を崩さぬ貴様のみだ」
「我が嫌い、と申すか?いやしかしこの余裕は致し方ないことだと思わぬかね?聡明たる現世ノ王よ」


 ごりっ、と嫌な音を立て、肌色が踏み潰される。隙間から桃色の繊維が纏わり付いた白が見え、込み上げる吐き気を堪えるのに気を取られた、その一瞬。青年は私の背後に回り、首に手をかける。


「御主程の聡明さが在れば、我の望みなど容易く理解出来るだろう」
「はて、とんと見当がつかぬな」
「ぬかせ」


 首筋に爪が食い込む、冷たい感触と、流れゆく紅の、暖かさ。相反する二つの感覚が、今現在の相反する性質を持った王の対峙を思い出させ、恐怖に戦く私の精神を此の場に繋ぎ止める。


「我は全世界の支配権を望む」
「ほう」
「我は、冥府の王。そして主は現世ノ王。わかるな?」 


 貴様は、邪魔者でしかないのだよ。


 理解していた。
 それくらいのことは。


「邪魔者、か」


 だが、私の唇は、その事実を受け止めることを拒んだ。
 台本に無い科白を、紡いでしまった。


「確かに貴様にとって私は邪魔者でしかないだろうよ。だがしかし、私には、私を必要とするモノがいる」


 たった一時でも。


「国民、か?」
「そうとも言えるな」
「死を前にして臆したか、逝く迄の時間を引き延ばしたところで結末は変わらぬだろうに」
「変わるさ」


 訝しがる奴を見ることもなく、私は最後の言葉を吐く。


「私の、心情が」


 思わず漏れた笑みに、冥王はあからさまに不愉快な表情を返して見せた。


「ならばもう心残りはあるまい」


 奴の手が私の首を折ろうと、力を込めたその刹那である。
 邪気払いの火矢が、冥王の腕を貫き、炎上。
 束縛から解放された私は、そのまま下方へと転落。強い衝撃が全身に走る。


「うおおぉぉぉっ!!」


 火矢が射出された方向より聞こえた雄叫び。その響きに、懐かしさを感じたのは決して幻聴などではないだろう。
 見覚えのある人影が、冥府の王へと剣を振るう。


「下衆が……ッ!!邪魔をしおって……」


 冥府の王が、拳を握る。


 危ない


 そう思うと同時に、身体は動いていた。



 鈍い痛み。


 砕ける感触。



「   さ 」


 誰かが、呼んでいる気がした。




「……興が削がれたわ。まあ良い、幾ら矮小な人族であろうともその怪我では死にはせぬだろう。精々我に流れる血潮の一部と成るべく其の身を鍛えておくがよい」


 冥府の王が、そう呟いたのだけがはっきりと聞こえたのは運命の皮肉であろうか。
 私に、次など無いというのに。


「王様っ!!どうか……どうか……っ!!」


 懐かしい声は、何かを嘆願するような声を出したまま徐々に体温を失いつつある私の身体に縋る。


「王様っ!!」


 その目は、目だけは違う者を見ていた。
 私を、一時でも、必要とした彼の男を。


「……此奴も使えぬ奴よ。何年も掛けたと言うのに、出来たことは徒に奴を苛立たせるばかり。此ならまだ弟の方が一矢報いた分有用というモノだ」
「国王、影武者の遺体は」
「国境の谷にでも捨て置け。私を失望させた罪としては其れが妥当であろう」
「王様……っ!!兄はまだ……」
「大臣、此奴を次の影武者とする。今度は失敗作を作らぬようにな」
「御意。さあ来い」
「そんな……王様っ!!」
「出来損ないの兄以上の働き、期待しているぞ」


 昔馴染みの朱いガウンを翻しながらそう宣う。
 血に染まった絨毯を闊歩する、僅かそれだけの行為が過大に私を苛立たせる。
 行く手に立つ王宮の兵士達は久しぶりに姿を現した真の君主を前にして一層姿勢を正す。
 身分を象徴するように頭上で輝きを放つ黄金色の冠が、照明器具の光を反射しその威光を四方八方に撒き散らす。



 嗚呼、王様とは何とイイ身分なのだろうか。







狭間の王様



何となく原点に戻ってみたくなりました。
そこはかとなく別のお話に似ているのはそのせいです。叙述が苦手なんですね。
10/10/24

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