超合理的近未来的淘汰的恋愛譚
僕は8月14日に生まれました。なので、誕生日は8月の23日になります。
昨今の日本では僕のようなタイプの人間の誕生日は一律で23日に設定されます。なので、僕の誕生日は23日なのです。
一説によるとこの決まりというのは僕ら以外のタイプの人間が「ぷれぜんと」なる物を送る際の煩わしさを解消するために考案されたとのことですが、とりあえず僕は今まで「ぷれぜんと」という物を目にしたことが無いので事の真偽はわかりません。ただひとつ言えるのは、今、僕の背中が痒いということでしょうか。そう、何を隠そう今日は僕の誕生日なのです。つまり、換羽期なので脱皮しなければならないのです。だから背中から翼が生えてきて、痒いということなのです。
昔は慣れませんでしたが、この頃ようやくこの痒みにも慣れてきました。いや、慣れたと言うよりも解消方法が解ってきたと言うべきでしょうか。何故僕は気付かなかったんでしょう。最初から尻尾で掻けばよかったというのに。ちなみにこれを友人に話したら泣きながら「素敵」と言われました。僕は彼の方が素敵だと思います。なので、手厚く葬っておきました。合掌。
正直な話彼との戦いで多少負傷した部分もあったのですが、そのお陰で今日こうしてまたより一層深く歳を重ねられたとも言えます。だから、僕は彼に感謝しているのです。というわけでこうして今彼の遺骨を掘り出しているのですが、やはり彼は……いや、やめておきましょう。こんなことになってしまった今これは無意味な言の葉に過ぎません。
しかし、僕の耳には確かに、聞こえてしまいました。
「素敵」
その言の葉を紡いだのは誰なのでしょう。彼であれば、と思いましたが今こうして灰となってしまった彼に最早言葉を放つ器官など存在するはずがありません。ならば、誰が?
僕は一抹の希望を胸に、振り返ります。誰かが、呟いたのではないかと。しかし公園には誰もおらず、ただただ寒風吹きすさぶのみ。僕の羽根が、がさがさと落ち着かぬ音を立てます。
嗚呼、だとしたら、その言葉を紡いでしまったのは、僕なのでしょう。僕が、彼に、言ってしまったのでしょう、ならば。
「僕も、貴方の元へ行かなければならないのでしょうか」
灰と化した彼に問うてみたところで答えが帰って来るはずもなく、さらさらと、彼は公園の地面と同化していきます。いつかこの上でヒトの子ども達が、笑顔で遊ぶこともあるのでしょう。嗚呼、何と羨ましく、そして僕たちに相応しくない、それでいて憧れる未来なのでしょうか。
公園の入口に立つヒトの親子が恐怖に顔を引きつらせ、此方を向いたまま固まっております。その傍ら、無表情で三輪車を漕ぐ人間の子ども。僕は、その子に近付き、問いかけます。
「君、誕生日は?」
「9日」
「そうか、それは」
素敵だね。
と、僕は彼女に笑顔で言い放ちました。しかし、彼女は行動を起こしません。何一つ。待てども待てども。
親子が立ち去るまで待てども。
「……何故、僕を殺してくれないのですか」
根負けした僕が問いかけると、彼女は笑いながら答えました。
「だって、貴方の誕生日は23日じゃないでしょう?」
そう言って、また無表情で三輪車を漕ぎます。きこきこと、耳障りな音が僕を責めます。
そうでした。僕が否定しようとも、いくら否定しようとも、僕の誕生日は14日なのでした。
だから、彼は死んだのでした。
後書き
いつか続きが書けそうな感じの終わり方になってしまいましたが、正直この宙ぶらりん感が好きです。
11/01/04
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