それは陽光を受けてきらきらと輝いていた。
まるで、著名な工芸家の作品のようなそれは、どこまでも繊細で透徹で端正で精緻なつくりをしている。
自然界という巨匠が作り上げたその完璧な美に、藍染はしばし見惚れる。
……しぶとい台風にしがみつかれ、ソウル・ソサエティは数日間、嵐に晒されていた。
その反動か、いつにも増して、空は青く、空気は瑞々しく、世界は清かった。
それが空気を震わせながら飛ぶ様は、さぞかし美しかっただろうと藍染は想像する。
――もしも、彼の手でちぎられることがなかったならばの話だが。
藍染は、しっかりと市丸の手に握り締められた羽根を見やる。
そして、市丸の足元でひしゃいでいる、羽根の本来の持ち主も。


「なぜ?」
藍染の声は意図せず尖る。
「弱ってたんです」
いつものように市丸は笑みを刷く。
その笑みはあまりにいつもどおり過ぎて、だからこそ藍染は不快だった。
「嵐のせいやったんやろな。自力では飛べへんかったから」
「だからといって」
「飛べへんほうが哀れでしょう?この子を飢えて死なすのは酷や」
「だが、もしかしたら、いつか飛べることになったかもしれないのに」
「もしかしたら?」
市丸は首を傾げた。
その首の傾け方は幼子のようなあどけなさが漂う。
いつもの演技的な口調を放棄した彼の唇から零れたのは、幼子のように無垢で残酷な疑問だった。
「そないに曖昧な体系の中で、この子は生きてたんですかね?」
「君はペシミストだね」
「あなたはオプティミストやな」
市丸はかつては羽根の主であった昆虫の死骸を目を細めて見下ろした。
外観こそ、いつもの笑みを浮かべてこそいるが、眼光は鋭い。
「少なくとも僕には、まだ生きている命を殺すことなどできはしない」
「…………」
一瞬だけ顔を引き攣らせたものの、市丸はすぐさまいつもと同じ完璧な笑みを浮かべる。
だが、一瞬だけ破綻した市丸の笑みが、藍染の胸をざわつかせる。
ひどい罪悪感が、途端に胸を痛ませ始めた。


「……君は僕の止まり木になるべきだ」
衝動に駆られるがままに口にした言葉だったが、残滓は思いのほか重いものだった。
発した藍染さえ、言語化した瞬間、瞠目したほど、多分に意味は含まれていた。
実際、藍染の喉や唇には、発した言葉の重々しい感触が未だに凝っている。
「それが、あなたの望みなんでしたら」
聡い彼が、藍染の言外の訴えに気づかないわけがないわけがないと思ったのだが、 市丸は藍染の情念に濡れた言葉をあくまで表層的にのみ捉えたのだと駄目押しするかのように、曖昧な笑みを浮かべてみせた。
藍染は発した意味を深く思考するべきで、市丸は受け取った言葉の重みを十分に掌に載せて考えるべきなのだ。
発した己さえ重要性を理解していなくても、その感触が、発されたときの周囲の空気の色合いが、重要性を示唆するのだ。
……ささくれを剥いてしまった後に浮かぶ血のように、藍染の内にじわじわと理解が湧いてくる。
その理解と衝動が溶け合い、藍染は力を得、更なる言葉を繰る。
「君は何もわかっていない」
唐突に、だが、猛烈に語り始めた藍染を、市丸は胡乱げに眺めている。
「君は僕の止まり木になるべきなんだよ」
もっと別の役目を市丸に割り振りたいという、はっきりとした願望が見えた藍染は己の内に力が漲りだす感覚を覚える。
ずっと彼に対して抱いていた歯がゆさが腑に落ちた。
それは罪悪感でもなければ、疚しさでもなかった。
彼に自分が何をしてやれるのかが、ただ、わからなかっただけなのだ。
藍染が解を得たことに、しかし、市丸はまったく気づいていないようだった。
同じ言葉を二度繰り返しても、藍染の唇で固着している彼の視線には熱がない。
「それでも君は、死にかけた僕の羽を毟ろうとするんだろう」
「…………」
彼の意識を自分に向けたいがために、否定的な言葉を藍染が紡ぐと、物言いたげに市丸はぴくりと薄い唇を動かしたが、結局何も言おうとはしない。
彼のあやふやな仕草は藍染をますます焦慮させる。
「知ってるよ、君はそういう人間だ」
苛立ちを市丸が凝視している唇で表現したかった藍染は、出来うる限り冷酷な形で微笑む。
その瞬間、唇に張り付く市丸の視線の硬さが変わった気がして、藍染が市丸の表情を窺うと、藍染の唇から一貫して視線を外さずに、市丸は眉を顰めていた。
「あなたは誤解してはる」
「そう?」
「殺しません」
不意に市丸は顔を上げる。
その顔から笑みは掃いたように拭われていた。
「もう殺しません。あなたの指示なしでは、何も」
市丸の眼差しは切実で誠実で清冽で、藍染は思わずたじろぐ。
「僕の手綱はあなたに預けます」
常日頃浮かべている彼の薄ら笑いは単なるポーズであることを、誰よりも藍染が知っていたはずだった。
他人との間合いをうまく取れない彼が生み出した、彼なりの処世術だったと。
だからこそ、彼の笑みの意味を探ろうとしない者たちに対して怒りを覚えていたし、 彼が自分にも他人と同じ他人行儀な笑みを浮かべていることが不快だったのだ。
なのに、その笑みを彼が取り払った瞬間、自分は怯えてしまっている。
こんなに真摯な仕草や口調で、他者と向き合ったことなどない。
無経験の恐怖はそのまま本能レベルの恐怖に直結し、藍染を戦かせたのだ。
「預けられても困るかな、正直。君だっていい大人なんだし、善悪の判断は……」
思わず、藍染の唇から本音が零れ落かけたが、
「あなたが正しいんです」
市丸の懇願するような口調に、藍染は気圧され、口を噤んだ。
「僕はあなたに影響されたい」
「えっ?」
「だって、あなたが正しいんやから」
「…………」
犬が餌を待つようにじっと藍染を凝視していた市丸は、不意に微笑んだ。
それは普段と同じ、何の感情を孕まない無意味なにやにや笑いだった。
感づかれた。
藍染の脊椎を沿うて、戦慄が走り抜ける。
市丸を怖いと思ったことを感づかれた。
他人の感情の機微に敏感な市丸が、藍染の怯怖に気づかないわけがない。
それを知りながらも、彼を試すような物言いをしたくせに、彼の本心を目の当たりにした瞬間、怖いという気持ちを抑えられなかった。
……市丸の態度には曖昧さが一切ない。
その真っ直ぐな姿勢は美しくもあるけれど、なんとなくの積み重ねで人間関係を構築することに慣れた者を怖気づかせる。
何度か、彼のこうしたストイックともいえる対応を藍染は目の当たりにしてきたが、彼の猪突猛進とも言えるような態度に思わず逃げたくなる反面、市丸が抱える業の重さを痛ましく思っていた。
結局、食うか食われるかの人間関係ばかりを形成してきた彼の過去を直視するようで、やりきれない気分になると同時に、自分の今までの人生は所詮欺瞞であると暗に指摘されているようで、不快でもあった。
こんな煽り方をすれば、今までずっと衝動を抑えてきた彼の感情の表出は苛烈になるに違いないと、藍染は予想していた。
だが、藍染の想像以上に彼は疑り深かった。
開きかけていた蓋が、今閉じられんとしている。
彼自身はただ、生きているだけなのに。
ただ、必死で生きてきただけなのに。
そして、また彼は人に裏切られ、心を閉ざしてしまうことになるのか。
いくつもの痛みを彼と共に乗り越えてきた自分も、「他人」という括りで彼の外側に廃棄されてしまうのか。
……気づくと、内心で募る衝動に突き動かされるままに、藍染は市丸の頭に掌を乗せていた。
サラサラとした髪と、若干尖った、でもきれいな形をしている頭蓋骨の感触と、彼の優しい体温とを掌に感じた瞬間、 これは愛おしいものなのだと、藍染は直感的に感じ取る。
彼がどんな存在なのか、未だに藍染はわからない。
それでも、この肌触りは、守るべき肌触りだ。
俯き、苦しげに肩で呼吸している市丸の体を、藍染は抱きしめる。
弛緩し、身を委ねてくれればとちらと思ったが、やはり、藍染の想像通り、市丸は体を硬直させる。
「君のことが好きだ」
「は?」
問い返す声は、怒りを含んでいた。
「そうやって、すべてを曖昧に流すんですね、あなたは」
「そうだよ」
藍染が答えると同時に、市丸は藍染の腕から逃れようと身を捻る。
華奢な彼のどこにこんな力が眠っていたのかと思うほど、力強い抵抗だった。
彼を見くびっていた藍染は慌てて、身悶えする彼の体を全力で抑え込む。
「そう言ってほしいのは君のくせに!」
「…………」
電源を切られた機械人形にのように市丸は急停止し、全身の体の力を抜いた。
か細い体躯ではあるが、健全な青年男子の弛緩した肉体を不意打ちで受け止めるのは、藍染には些か難儀だった。
たたらを踏みながらも、辛うじて、藍染が市丸の体を受け止めると、市丸は藍染の肩に唇を押し付けた。
「単純なことじゃないんだ」
幼子を宥めるように肩甲骨のあたりを優しく叩きながら、藍染が言うと、
「……知ってます」
肩先の感覚で、市丸がうっすらと笑んだことがわかった。
それが、いつもの笑みではない、心からの笑みであることを藍染は心の底から願う。
「まず、あの虫を弔って、それから、精進落としに飯を食いに行こう」
「はい」
しばらくの後、市丸はゆっくりと顔を上げた。




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