彼は知っているのだろうか?
……薄い上背を猫のように丸め、執拗に茶に息を吹きかけている彼の姿を目に入れながら、藍染は 既に手垢にまみれてしまっている疑問を、またも蒸し返していることに気が付いた。
考えをこねくり回したところで、もはや自分の中から答えが出る類の疑問ではないことは、重々承知していたのだが、 しかし、藍染には他に考えることなど何もないのだった。
かわいそうに。藍染は、自らの脳に同情する。
今や、自分を縛ることができるのは、このこと以外ないというのか。
しみじみと自分の現状を省みると、やたらとおかしくなる。
あの日何の気なしに口を噤んだことが、自分の生を実感させる重要な根本になるとは。
人生、何があるかわからないからおもしろい、という格言があるが、なるほど確かにそのとおりだ。
「何がおかしいんです?」
市丸にそう問われるまで、藍染は自分の口元が苦笑で歪んでいることに気づかなかった。
「いや、別に」
口元を引き締め、前に置かれた茶器の胴体部分を掴んで持ち上げたが、それは火傷しそうなほどに熱かった。
慌てて、湯の達していない上部に指を添え、そろそろと茶を啜り込みながら目を上げると、市丸は目を細めて笑っていた。
ちっとも楽しくなさそうなその笑みは、しかし普段どおりのものだった。
そんな市丸の笑みを見るたび、藍染は市丸と自分との間が音を立ててひび割れていくような気がして、無性に悔しくなるのが常だった。
市丸だけが踏み越えたという事実を、目の当たりにさせられるようで。
「熱っ」
尖らせた舌をそろそろ茶に浸した市丸は結局、顔をしかめて、湯のみをテーブルに戻した。
「熱いですな、これ」
「猫舌なんだね」
「ええ……」
会話の発端を作り出しておきながら、市丸は空返事を返した。
こうしていつも市丸は、藍染を置き去りにして、別の世界に行ってしまう。
それでも、こたつに足を入れて、茶の表面を眺めている市丸が、実は人殺しであることを知っている人間は、自分だけだ。
己を慰撫するように、藍染は内心でそう呟いてみる。
しかし、知っていること、それ自体には何の意味もないのだ。
……茶の苦味が、やけに舌に沁みた。


藍染が、市丸の犯罪を知ったのは、本当にただの偶然に過ぎない。
早朝、自宅までの道を歩いているとき、市丸が女の死体を胸に抱きかかえんとしているところを、たまたま藍染は目撃してしまっただけのことだった。
意外な状況に驚愕した藍染が、思わず身近な壁に身を寄せ、息を殺して霊圧を消した、 その目と鼻の先を、市丸は白い額に熟れた果実のような汗を浮かべながら、どうにかといった態で女を引き摺り引き摺り、緩慢に歩を進めていったのだ。
藍染の気配など気付きもしなかった様子の彼は、後を追いたいと切実に願いながらも、両の足を萎えさせるほどの脱力感を藍染に齎した。
だから、藍染は、力の入らない自らの足に怒りを通り越して吐き気すら覚えながらも必死で首を伸ばし、できるかぎり彼らの背を視線で追うしかなかった。
少なくとも、その瞬間、恐怖も義憤も覚えなかった。
湧き上がってきたのは、寧ろ疎外感だった。
完成された空気を死覇装姿の女の死骸と市丸は纏っていて、どうしてもその空気の中に混じ入ることができなかった自分が、ひたすら心もとなく、憎らしかったのだ。
……次の日、地獄蝶によって齎された情報によって、藍染は事件を知った。
女の死神の死体がとある池にに投げ込まれていたという。
その瞬間、藍染が思い浮かべたのが、女の死体を担ぎ、街灯に浮かんだ汗を反射させていた市丸の姿だったのは、必然だったと言えよう。
ああ、そうか。
地獄蝶の繊細な足の感触は、藍染に冷静さを取り戻させた。
途端、藍染は、前夜の自分の心の動きが恐ろしく恥ずべきことのように思え始めた。
疎外感など、そうした類の感情を抱くことなど、普通の人間には、ありえないことなのだ。
現に、事件の報を聞いて、恐ろしげに首をすくめる隊員たちを見ろ。犯人逮捕に躍起になる隊長たちを見ろ。
疎外感を覚えて、本当はよかったのだ。本当に正しかったのだ。
藍染は自分の感情の動きを手放しに褒め称えたが、なぜか違和感が胸を突いた。
そんな折だった。
まるで隙を突くようにして、いつのまにか、市丸が藍染の傍らにいることを知ったのは。
同じ隊に在籍していたとはいえ、副隊長である自分と、肩書きのない平隊員の市丸は、元来、親しく会話を交わすような間柄ではない。
しかし、市丸はいくつもの障害物を綺麗に擦り抜け、いつのまにか藍染の傍らを当たり前のような顔でキープしていた。
……元々、現隊長の退官が半年後に決定していて、藍染の隊長就任説が確実な噂として瀞霊廷内に囁かれていたという背景があり、副隊長を誰にするかが平隊員の専らの話題の的ではあった。
そのため、徐々に距離を詰めていき、いつのまにか平然と自分の横に寄り添う位置を勝ち得ていた市丸の存在が、必然的に藍染の息のかかった者ではないか、次の副隊長の座を得る有力候補の1人ではないか、と邪推されるのは、この状況においては半ば当然のことなのだった。
部下の口から、遠まわしながら、彼らの間では、市丸が次の副隊長の候補の1人と目されていると聞いたとき、藍染はしばし陶然とした。
己の出世のため、藍染に媚を売る隊員の中、1人、端然と外れていた所に突っ立っていた市丸が、慇懃な笑みを浮かべることで自分との距離感を保ち続けていた市丸が、いつのまには自分の側にいた。
その事実は、藍染の自尊心をすこぶる満足させた。
なぜなら、藍染は少なからず、確信を抱いていたのだ。彼が、あの瞬間、自分が目撃したはずなどないということを。
彼はあの時、必死で女を引き摺っていた。そして、自分はただでさえ、不用意に霊圧を撒き散らすことを控えていた上、彼を認知してすぐさまそれを潜めた。
隊長格ならまだしも、平隊員の市丸が瞬時に判別できるわけなどない。
実際、こちらに一度たりとも顔を向けることなく、女を隠蔽することだけに集中していたふうの市丸が、自分に気づいていたとは、藍染はどうしても思えなかった。
だとすれば、彼が自分に近づく理由はなんだろう?
冷静に思考を積み上げていかなければならないと思いつつも、自身の周辺に漂い始めた甘美な匂いに藍染は鼻をひくつかせる。
彼は、同属を求めて、自分に吸い寄せられているのではないだろうか?
この世界の頚城を超えてしまった彼は、途方もない孤独を抱えているであろうことは、想像に難くない。
砂漠であれば僅かな水滴すらも甘露と思うように、少しでも孤絶感を癒すため、近い香りを放つ人間に擦り寄ろうとするのは、自明のことなのだ。
もしも、彼がそうなのであれば。
うっとりと、藍染は自分の想像に身をゆだねる。
自分であれば、理解できる。彼の痛みも、彼の悲しみも。
……だが、市丸は、何も語ろうとも問おうともせず、ただ白々と微笑み、藍染の隣に居座り続けていた。


一度、殺されそうになったことがある。
「今、お帰りですか?」
今日中に仕上げなければならない書類をすべて処理し、外に出た藍染の背に、突如、声がかかり、振り返ると、そこに立っていたのは市丸だったのだ。
……周囲から次期副隊長の有力候補と目されているとはいえ、彼は現時点では一介の平隊員でしかない。
隊長になるための点数稼ぎのため、平隊員の現状には必要以上に気を配っていた藍染にとって、夜半に近い時間帯にまで居残る彼の存在は、寧ろ不快でしかなかった。
年度末が近い今、処理しなければならない書類は普段の倍はあったが、本来、平隊員に割り振るべき仕事をなるべく自分で引き受けている手前、夜遅くまで残業している部下の姿を決して好ましく見ることはできない。
ここのところ暖かくなってきたとはいえ、夜半近くとなれば温度は格段に下がり、寒さは市丸の白い頬を赤らめさせていた。
その赤さはそのまま、彼がしばらくの間、ここに立って待っていた証でもあった。
ふとその事実に思い至った藍染は、じわじわと高揚感が胸を滲み出すのを覚え、慌てて、辺りを見回した。
周囲には誰の姿もない。
あの女とまさに同じ状況に今の自分は置かれている。
もしかしたら、彼はすべてを知っていて、もしかしたら、自分はあの女のように殺されるのかもしれない。
だが、自身に対する警告をいくら唱えてたところで、相変わらず恐怖心が湧くことはなかった。
「一緒に帰りませんか?」
胸を突き上げる昂ぶりを押さえつけながら、藍染が表立っては市丸の提案を副隊長らしく鷹揚に肯じると、市丸はほっとしたように解れた笑みを湛えた。
だが、寒さに打ち震えながら自分を待ち兼ねていた割には、道すがら、市丸はほとんどの時間を沈黙に当て、それ以外は日常の瑣末事を口にすることに終始した。
空っぽな会話ばかりをぽつぽつと紡ぎ合うことにいい加減うんざりしてきた藍染の目に、ふと酒場の軒下に垂れ下がる提灯の光が映った。
「寄っていかないかい?」
……そう提案した自分の内に、醜い欲求が芽生えたことは否定できない。
人殺しである目の前の男を、知っていることを知らせずにうまくいたぶってやりたいという加虐的な欲望と、殺人犯と知りながらわざと彼と共に過ごす時間を長引かさんとする被虐的な欲望とが、宙ぶらりんな苛立ちと掛け合って、何かしらの化学変化が起こしたに違いなかった。
市丸は一瞬、惑うような表情を見せたが、やがて、平時どおりの笑みを浮かべ、首肯した。
沈殿する鬱屈を払うためか、孕む緊張感を拭うためか、市丸は藍染に供されるがまま酒の杯を傾け続け、閉店時間には、酒精に体の大半を乗っ取られていた。
追い出されるようにして店を出た頃には、市丸の足は覚束ず、たまたまか策略か、市丸の顔色が最高潮に蒼白になったとき、ちょうど、藍染の家の前にたどり着いた。
しばし逡巡したが、彼を家に招き入れることが、現時点において最も上司として相応しい判断であるように思えた藍染は、彼を促し、自宅へ招き入れた。
……市丸は体調の悪さを忘れたように、上司の部屋をしみじみと眺め回し、いちいち感心したように頷いていたが、 そんな自分の仕草で酔いが回ったらしく、しばらく厠に篭り、出てこなかった。
やがて厠から数段青白くなって戻ってきた市丸を気遣った藍染は、普段使っている寝床を彼に提供し、自分は居間に寝ることを提案したが、 強かに酔っているにも関わらず、彼は頑強にその提案をはねつけた。
彼が居間の畳で直に眠ることを半ば無理やり合意させられたものの、いざ、いつもどおり寝床につこうとすると 市丸は藍染の袂を握り締めて離そうとはせず、結果、狭い寝床に男2人がひしめきあうようにして眠らなければならなくなった。
半ば布団からはみ出た状態では眠ろうにも眠れず、藍染はぼんやりと天井の木目を眺め続けていたが、 やがて、世界のほとんどの人間に平等に舞い降りる睡魔が訪れ、うとうとし始めたその時だった。
不意に市丸が、のそりと起き上がった気配がした。
かさりと衣擦れの音がした瞬間、藍染は反射的に眠った振りをした。
固く目を瞑り、緩慢な呼吸を繰り返し、寝息を模した。
若干、息苦しくなってきたとき、ふと首が生温い感触でいっぱいになった。
気づかれない程度に薄目を開けると、市丸が藍染に馬乗りになり、両手を首筋に添えていた。
闇のせいで市丸の表情は窺えず、その分余計に凄惨な雰囲気が彼の肩口に漂っているように見えた。
やはり、彼は知っていたのだろうか?
やはり、自分は殺されるのだろうか?
しばらくして、まず藍染の脳裏に過ぎったのはそんな思惟だったにも関わらず、恐怖心は、未だ靄のようにけぶるばかりだった。
……市丸の指先が頸動脈に掛かる。徐々に力がこもりだす指先に呼応して、息が詰まっていく。
だが、最後の瞬間、市丸が手を離すだろうことに、藍染は根拠のない自信を持っていた。
彼が、藍染を自らの糧にできるわけがない。
刻一刻と霞がかっていく脳裏で、ふとそんな思念が瞬き、流れ、消えた。
その時だった。
ねっとりとした感触が、藍染の唇を塞いだのは。
ぶよぶよして、熱く濡れたそれは、長いこと、藍染の唇の上にのしかかっていたが、やがて離れ、同時に、首を圧迫していた指先の力も萎えた。
肉体の感覚で、市丸は藍染の目が覚めていることに気づいてしまったのだろう。
それほどまでに、キスは言い訳がましかった。
なぜ、殺さなかったのだろう。
再び布団に身をくるませている市丸の物音に耳をそばだてながら、藍染は考えた。
起きているからといって、抵抗しない藍染を殺すことは、容易いことであったはずなのに。
たかだか、目覚めていることを知ったくらいで、市丸はなぜ自分を殺すことを諦めたのだろう。
やはり、彼は自分を求めているのだ。自分こそが、彼の最後の牙城なのだ。
想像は、奇妙な酩酊を生んだ。
やがて、藍染は、自分が興奮――というより寧ろ、欲情していることに気がついた。


真剣な眼差しで茶と対峙する市丸を見ているうちに、藍染は市丸に憎しみすら覚え始めた。
彼が、今も平凡な佇まいで茶を啜っているという目の前の事実が、忌々しくてならない。
この世界から1人解き放たれておきながら、この男はなぜ今も、日常の枠に進んで嵌まらんとしているのか?
両の世界を思うがまま行き来することで、自分の優位性を誇っているのか?
この世界だって、そんなに甘いものじゃない。
彼が脱却した世界に今も這い蹲る者の1人として、藍染はひっそりと、だが傲然と、顎を上げる。
この世界の日常を堪能する資格など、市丸にはない。
だが、一方で藍染は既に気づいている。
自分がここまで堂々と彼と対峙していられるのは、つまるところ、 この世界において、彼は犯罪者で、自分は非犯罪者だという一点につきることに。
本当は、嫉妬している。
つまらぬ噂話や、下らぬ憶測や、愚もつかぬ虚言ばかりが蔓延るこの世界から、殺人という形で別れを告げた彼に。
自分がすでに飽き飽きしている世界を超え、別の世界に至った彼に。
……不意に、そして無性に、自分は知っているということを、藍染は表明したくなった。
それが、自分を追い詰めるとわかっていても、それでも、彼の世界により深く没入したかった。
そうすることで、彼が悠然と見下ろしているこの世界に、自分もまた今や存在しないのだということを知らしめたかった。
……藍染は大きく息を吸い込んだ。
「どうして、あの女を殺したんだ?」
なるべく日常的に彼の耳内で響くように考慮したつもりだったが、声の硬さは完全には抑え切れなかった。
はじかれたように顔を上げた市丸の顔がゆっくりと弛緩していき、時間を掛けて、諦念の形を作り上げた。
「やっぱり、見てはったんですな」
市丸の唇から、呻き声にも似た吐息が漏れた途端、藍染は、雷に穿たれたような、直角の衝撃に襲われた。
彼は知っていたのだ。自分が見ていたことを。
まさか、そんなはずはない。そんなことは断じてあり得ない。
そんなことがあっていいわけがないのだ。
「……特に、理由があったわけやないんです」
未だ愕然としている藍染に気づかないまま、市丸は淡々と己の罪を告白し始めた。
「魔が差したんやろな。この世界の、生温い感触が、時々気持悪くて嫌やったんです。誰かを殺せば、世界が変わるような、そんな気がしてました。 確かに変わりましたよ。僕は石になりました。何も感じない。全てはあまりに遠い。幸せそうな家族を見ると、それだけで涙が出そうになるんです。 僕は無くしてはならないものを、無くしてもうた。居場所すら、のうなった」
顔を俯け、自分の感情を語る彼の見苦しさに、藍染は呆然とした。
「何度も、藍染隊長のことも殺そう思うててんけど、これ以上何かを無くしとうなくて」
ひどく寂しげに、市丸は微笑み、首を振った。
藍染の頭は、その瞬間、真っ白になった。
……彼は新しい世界に踏み込んだものの、その不安定な足触りに恐れをなし、自分と同じ匂いを纏うた藍染を仲間にせんと近づいた。
内心で甘く立ち上っていたのはそんな可能性で、だからこそ、今まで殺されることの恐怖を感じずにいたのだ。
同じ世界を共有できる者を求める、孤独でひ弱な彼は、彼の踏み込んだ世界に耐えうる強靭な精神を持った自分を、引きずり込むだろうと。
だから彼は決して自分を殺すことはないだろうと。
だが、彼は、藍染の自信と妄想とを、粉々に打ち砕いたのだった。
いつのまにか傍らにいたことの意味も、夜半の不可解な口付けの意味も今ならよくわかる。
……藍染は、少しばかり彼の罪を言及しただけで、だらだらと汚物を垂れ流すように罪を告白し始めた彼が不快だった。
意識的に罪に挑み、罪を乗り越えようとした男が、結局、何も手に入れられなかった?
そんな馬鹿な話はない。
結局、彼が単に罪を持ち続けられる器ではなかったのだ。それだけのことだ。
なんと哀れな。
更に言い訳を続けようとする市丸を黙殺して、すっかり冷めてしまった茶を一気に飲み干し、藍染は立ち上がった。
「ちょっと、菓子屋に行ってくる」
「……はい」
市丸は静かに頭を垂れた。
既に彼は、すっかり罪を悔いる犯罪者の姿に様変わりしていた。
全く、醒めた気分だった。
あまりに想像過多であった自分自身を嘲い、一線を越え、新たに拓かれた世界で、何一つ手に入れられなかった市丸の小心を嘲った。
所詮、市丸も、牢の中で犯した罪を償い、過ぎ去った過ちを悔いながら死んでいく人間の一人に過ぎなかったのだ。
項垂れる市丸を無視し、外套を取り上げた藍染は、清々しい気持ちで表に出た。
吹き付ける風は冷たいながらも、どこか春の甘さを孕んでいる。
そんな冬と春が絡み合う空気を心ゆくまで堪能しながら、藍染は菓子屋の前を通り過ぎ、その先にある刑軍の詰所へと向かった。
市丸は恐らくこの瞬間、藍染の部屋で息を潜めて運命の託宣を待っているだろう。今や、逃げる度胸などないはずだ。
市丸、僕がお前の道を行く。
託宣のときを粛々と待っているであろう市丸に向けて、藍染は内心で語りかける。
社会的にお前を殺し、俺はお前の行けなかった世界に行く。
「僕は見た。殺したのは、市丸という名の僕の部下だ」
……刑軍の詰所に辿り着いた藍染は、彼の罪を喧伝するように、大きな声でそう言った。
刑軍の男は瞠目し、何か尋ねてきた。
しかし、藍染は何も聞こえなかった。
やがてさまざまな愚もつかぬ人間がわらわらと集まってきて、口々に藍染に何か問いかけてきたが、サイレント映画を見るように、藍染は彼らを眺めるしかなかった。
僕は石になりました。
市丸の言葉が耳の中で蘇った瞬間、ふっと全身が軽くなった。
まるで、全てを擲ってしまったようだった。
藍染は笑い出したが、自分の笑い声も既に聞こえなかった。
笑いながら、藍染は涙をこぼしたが、既に涙が頬を伝う感触すら失っていた。
やがて、藍染は全てを理解した。
自分もまた、市丸と同じ空間で立ち止まってしまったということを。
……あまりの皮肉に、藍染はもはや笑い続けるしかなかった。






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