差しかけた傘の向こう側で、まるでつむじから体内へ押し入らんと企んでいるかのように、間断なく雨は降り続けていた。
求めてもいないのに降り注ぐお節介極まりない液体と、腰巾着のようにその恩恵を頂戴して一切を覆わんとする図々しい湿気は、本来、苛立ちを闇雲に膨らませるばかりなのだが。
水分がないと生きていけない人類に慈愛を振舞っているのだとでも言いたげな、高慢この上ない態度を崩そうとはせず、ひたすら降りしきる雨は、本来、嫌悪してしかるべきであるはずなのだが。
意図を果たせないまま紺色の傘の上でさらさらと滑る不遜な慈しみは、市丸をにやつかせる。
まったくいい気味だ。すべて阻まれてしまえばいいのだ。すべて地に落ちて跡形もなく踏み躙られてしまえばいいのだ。
……ともすれば、今日が雨でよかったと思いそうになる自分を戒めるために、市丸は傘の柄を強く握り締める。


彼に対する要求が、日々過剰になっていく自覚はあった。
世界を牛耳るというフレーズは聞こえこそいいが、実際にその役目を押し付けられた者は、たまったものではないだろう。
だが、彼は今まで過不足なく市丸の願いを受け入れ続けていて、それが、要求を募らせる要因でもあったのだ。
責任転嫁に気づきながら、否、気づいているが故に、芽吹いていく不穏な感情。
市丸の願いを叶え続ける彼は、完璧な自分に酔いしれながら、一刻一刻と自失していく。
神への階段を一段昇るごとに、彼は市丸の願望を実現するだけの便利な道具へと成り下がっていく。
そして、そんな彼に対する失望を更新し続ける市丸は、それでも、彼が提案を結実させ続ける限り、自分の欲求がエスカレートしていくだろうことに気づいている。
際限なく我儘を口にすることだけが、もはや彼と自分を繋ぐ蜘蛛の糸なのだ。
……なぜ、壊れてしまったのだろう?
彼の弱さを、打ちひしがれて、泣き喚く彼の様を、その瞬間に自ずと現れる彼の本心を見たかっただけなのに。
ただ、無茶な願望を口にし続ける以外、彼を暴く道はなかっただけなのに。
いつだって冷静沈着で、穏やかな笑みを漂わせる彼。
皆の愛と尊敬を、一身に浴びる彼。
最初は、そんな彼の立ち振る舞いがやけに鼻についただけに過ぎなかった。
それが彼本来の性質であるわけではないからだと、やがて思うようになった。
人は、醜く汚く利己的な生き物なのだ。
彼の物腰や物言いが、彼の裡から自然と生まれ出ずるものであるはずがない。断然、そうあっていいはずがない。
……踏み躙られることが当たり前だった流魂街で、まず獲得したのは性悪説だった。
まだ幼くか弱く柔らかかった市丸をいたぶる人々がそうする理由を己に求めないためには、人が生まれ持つ性質が悪であると信じる必要があったのだ。
だから、すべての人々を無条件に愛し、すべての人々に無条件に愛されているように見える彼の存在は市丸を混乱させたのだった。
彼は稀有なる存在なのだと、そう割り切れたらよかったのかもしれない。
だが、彼をそういう存在だと受け入れるには、自分はあまりに若すぎた。
狭量だったあの頃、性急に答えを欲した結果がこれだ。
彼の本心を暴き、その惨めな様を白日の下に晒してやりたいという衝動に囚われたが最後、彼に対する執着は始まってしまっていたのだから。
……だが、自分の読みは、ある意味においては当たっていたのかもしれない。
少なくとも、彼はできないと口にすることができない程度にプライドの高い人間で、 持ち前の我慢強さと、少しの情報と、それからたっぷりの運を惜しげもなく使って、無自覚を装いつつも鮮やかに、市丸の画策をすべて阻んでみせたからだ。
彼は市丸の口先の欲求を叶え続け、だが、本当の欲求は何一つ叶えようとはしないまま、遠ざかっていくばかりだ。
弱さを見せないために、高みを目指し続ける彼を卑怯だと思う自分こそ卑怯だろうか?
ならば、このままでありたいと思うのは贅沢すぎるだろうか?
本当は革命なんてどうでもいいのだ。
彼を自分のいる場所まで引き摺り下ろすことさえ叶えば、もはや世界がどうなろうと構わないのだ。
……リズミカルに雨は傘を叩く。
その軽やかな音は、市丸が抱え込んでいる現実を、陽気で馬鹿げた何物かに変貌させようとしているかのようだった。
途端、市丸の体内で燻っていた苛立ちが沸点を迎えた。
耐え切れず、頭上で激しく傘を振ると、傘の上の雨粒は音を立てて飛び散った。
子供じみていると、我ながら思う。
だが、立ち去ってしまったら、この痛みを笑い飛ばすようになってしまったら、一切が終わってしまうようで足が動かない。
いっそ、このまま立ち続けてみようか。
何も変わらないだろうけれど、これ以上、変わってしまうよりは、ずっといいような気がするから。


しばらく無為に濡れそぼる世界を眺めていた市丸は、やがて舌打ちを落とし、ともすれば、雨でよかったと思いそうになる自分の弱さ諸共踏み躙るべく、ゆっくりと足を踏み出した。





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