私は、彼と対等であった試しがない。 彼は私のことをとても大切にしてくれていて、それはよくわかっていたのだけれど、 だからこそ、私は彼と対等でありたかったのだ。 ふと、泣き出したい衝動を覚えながら、松本は目を覚ました。 何の夢をみていたかは思い出せないが、こういう感情が胸中を満たす夢に 松本は心当たりがあった。 ……恐らく、昔の反復だ。 彼と暮らしていた頃の。 寝惚けたまま窓の外へと視線を転じた松本は、偶然、彼の姿を見つけてしまったことに ひどく狼狽した。 自分の視線につゆも気づかず、彼はいつもどおりの笑みを同じ隊章をつけた人に向けている。 ……誰かのことを考えていると、その誰かが目の前に現れてしまう確率がひどく 高くなるのはなぜだろう? ぼんやりとした頭で松本はそう考えながら、視線を逸らせた。 かつて共に暮らしていたというのに、いや、だからこそ、 ここ最近は、彼に会いに行くことも、声をかけることもついつい控えがちになる。 ……幼馴染というのは、元来、そういうものなのだ。 かつては何もかもを分かち合えたという甘い前提があるから、 余計に裏切ったり裏切られたりすることが怖くなるのだ。 ……ちらりと、松本は今は空席の隊長席を横目で見やった。 今日は休みを取っている自分の上司は、たしか今日、 幼馴染でありながら想い人でもある彼女に、連れ出されているはずだった。 ――だから誤魔化すことができないのよね。 松本は、寝乱れてしまった髪を手櫛で直しながら、ふっと溜息を漏らす。 自分の中で幼馴染の意味を勝手に定義し諦めてしまおうと思っても、 自分たちとは違う幼馴染が眼前に存在し続ける以上、 それは欺瞞でしかないとどこかで囁く声が聞こえてしまうのだ。 だからこそ松本は、本当なら目を背けたい事実と対峙するより他なくなる。 ……結局、自分は今も拘泥してしまっているのだ。 彼が、自分に黙って去っていってしまったことを。 そして、それに疚しさを感じていることを。 元々、初めから彼に対する疚しさはあった。 「乱菊はやらんでええから。僕がやるから、見とって」 慣れていたのだろう。 彼はそう言って、あらかたのことを手際よくこなしてしまう。 「私にもやらせて」 そう言っても、彼は笑みを見せるものの、決して首肯することはなかった。 「僕はな、乱菊と一緒におれればそれでええねん。せやから、乱菊は何もせんでええんや」 まるで真綿にくるむようなその言葉。 自分が、ひどく大切にされていたのはわかった。 きっと、一緒にいれるだけで幸せだと、そう言った言葉に嘘はなかったのだろう。 嬉しかった。 しかし、同時に切なかった。 自分も彼のために何かをしてあげたいと思ったし、彼が食料調達―― 特に彼が松本にやらせたがらなかったものの1つであり、松本が近所のおばさんから もらったときにすら喜びながらも複雑な顔をしていたため、彼を 傷つけたくなくて最初にやめてしまったことだ――をしにいって 留守にしていたときなどに何度か見よう見まねで家事めいたことをやってみたこともある。 しかし、感謝こそされるものの、次からやらんでええの一点張りだったし、 本来、彼ほどに器用ではない松本は、自分よりも上手にこなす彼の器用さに 引け目を感じ、最終的には彼の言葉に甘えるがままになっていた。 それでも、いつもどこかで感じていた。 大切にされるだけではなく 彼と対等な立場で、彼に必要にされたいのだと。 だから、彼が唐突にいなくなったとき、思ったのだ。 何もかもしてもらうばかりで何もしてあげなかったうえに、 贅沢な望みさえ抱いてしまった自分から、 彼が去っていったのは当然の報いだと。 勇気を振り絞り、松本は再び、彼の姿を視界に入れた。 その瞬間、彼もまた、こちらへと視線を走らせたような気がしたが、 すぐさま背を向けられてしまったので、きっと目の錯覚だったのだろう。 彼は相変わらず、同じ隊章をつけた人間と話しながら、 どこかへ立ち去ろうとしていた。 ――こんな風に、あいつの背中を見たくない。 不意に松本の胸中一杯に満たしたものは、そんな思いだった。 どうしても、いなくなった日に思いを馳せずにはいらなくなるから。 ……松本は大きく息を吸いこんだ。 「ギン!」 あらんかぎりの声で彼の名前を呼ぶと、彼はすぐさま彼女の声に反応した。 ああ、こんな簡単に、振り向いてくれたのか。 自分が発したたった二文字の単語でいとも簡単に振り返った市丸を見つめながら、松本はぼんやりと思う。 「卑怯者」 近寄ってくる市丸に向かってそう呟くと、市丸はひどく不合理そうな顔をした。 「久しぶりに会う幼馴染に、開口一番なんやの」 「卑怯者に卑怯者と言って、何が悪いの?」 しれっとした表情を作ってそう尋ねると、市丸は苦笑した。 「乱菊は相変わらずやな」 松本はもどかしさのあまり、歯噛みした。 罵倒を装いながらも本心を伝えようとしているのに、市丸こそ相変わらずの態度で受け流すことしかしようとしない。 一言、どうしたの?と尋ねてくれさえすれば、まだ答えようがあるのに。 ……ついそう思ってしまう自分が、ひどくずるいとは思う。 結局、甘えているのだ、自分はどこかで。幼馴染という立場に。 ――でも、ずるいのは、あんたも同じ。 「相変わらず」の一言で、すべてを済ませてしまおうとするなんて。 私にばかり、あの頃を押し付けるのはおかしいんじゃないの? 私が「相変わらず」の私であることで彼が安心するのであれば、 あの頃のままでいたいと思うけれど、今はもう難しい。 だから、もっと今の私を見て。 「私、あんたに疚しいって思ってたの。ずっと」 そう言うと、市丸は眉間に皺を寄せた。 「でも、そういうの、もうやめるわ」 それが、今言える、精一杯の宣戦布告だった。 市丸は自然な所作で手を伸ばし、松本が直し損ねた髪の乱れを直すと、 不意に笑い声を立てた。 「何?」 「いやあ」 そこで市丸は、言葉を探すように一泊おいた。 「よかったと思うててん」 「えっ?」 「僕もやめるわ、そういうの」 もしかして。 ……松本の停止した思考回路が動き始めたのは、市丸は既に 同じ隊章をつけた死神に呼ばれ、立ち去ったあとだった。 松本は去り行く市丸の背を見送りながら、ぼんやりと考える。 今も尚、徐々に遠ざかっていく彼の背がこの胸に痛みを齎すけれど、 いつかその痛みが笑い話になる日が来るのだろうかと。 |