ホースから流れ落ちる水は、地面を叩き、跳ね返り、また地面へと戻る。
夏もまた、再びこの自分たちの上空へ舞い降り、立ち去り、また戻る。
そんな循環の中で、自分たちも生きているのだろう。
死んで、生まれて、また死んで生まれる。
「暑い」
縁側に座っていた市丸は、そう呟きながら両腕を伸ばし、そのまま寝転んだ。
まだ冬だった時分には、自分は夏が好きなのだと言い張ってやまなかったのにまったく面妖なことだ。
「なあ、藍染さん」
「なんだい?」
青々と茂る庭木の葉の上で、無数の水の果実が踊る。
それらは、思い思いに太陽の光を反射し、藍染の目を惑わせる。
「この天の上には、何があるんでしょうね?」
振り返ると、あれほどぼやいていた割りに、市丸は気持ちよさそうに空を見上げている。
なるほど、ただの我侭か。
藍染は笑い、同じく空を見上げた。
太陽の光は生々しい熱さで頬を撫でるのに、なぜか夢をみているような気分に陥る。
そういえば、太陽の光がこの地球に到達するまでに、8分20秒の誤差が生じているとどこかで聞いた。
ならば、太陽の光がどことなく切ない手触りを残すのは、それが過去の光故だろうか。
「死ぬ前は、ずっと天国があると思うてたんやけど、もう僕、死んでもうてるしな」
「天国はあるよ」
そう答えると、市丸はちらりと藍染を見た。
「でなきゃ、やりきれない」
「ほなら、天国はいったい、どうなってはるんでしょうね?」
「そうだな」
蛇口を捻って水を止め、ホースを片付けながら藍染はしばし逡巡する。
「きっと、今と似たり寄ったりの生活じゃないか」
「んなアホな」
藍染の返答がお気に召さなかったらしく、市丸は身を起こした。納得できかねると言いたげに鼻に皺を寄せている。
「夢もロマンもない」
「じゃあ、市丸はどんな天国を想像するんだい?」
「そうやな……。まず、白くてヒラヒラした服は、絶対着とると思うんですよ。 で、頭に輪っか乗せた美女が、男1人につき、3人はつくんですわ。 それで、うまい飯とうまい酒がぎょうさんあって……」
市丸の下世話な発想にげんなりして、思わず藍染は溜息をついた。
「高級クラブに行けばいいんじゃないのか」
「でも、タダですよ、タダ!」
そういう問題ではなかろうに、なぜか妙に勢い込んで市丸は声を高める。
「だったら、天国はもっと、美しい光景が広がっているだろうね。澄んだ湖と、生い茂る木々……」
「なんですか、その下手な詩は。萎えるわ」
想像を広げようとした矢先に市丸から水を差され、藍染は肩を竦めた。
「天国はわからないけれど、仮初の天国になら招待できるよ。 今日は暑くなりそうだったから、お茶を冷やしておいたんだ。あと、芋羊羹もある」
「ええですな」
甘いものに目がない市丸は途端に相好を崩した。
まったく現金なことだ、と藍染は思ったが口にすることは控えた。



先日思い切って購入した、著名な陶芸家が焼いた小振りの皿に芋羊羹を1切れ乗せて供したのだが、 市丸は皿を愛でるどころか、藍染が感じた皿の持つ磁力だとか羊羹との色合いの調和だとかを微塵も感じていない食べっぷりで瞬く間にそれを平らげ、 物足りないといわんばかりの顔をした。
――風情など不必要だったかな。
やはり同じ陶芸家の作品である茶碗に注いだ冷えた茶を勢いよく呷る市丸の横顔を見て藍染は苦笑し、 今度は十把一絡げで購入した大きな皿に、あるだけの芋羊羹を盛って市丸に渡してやった。
市丸は上機嫌な笑みを浮かべ、手づかみでそれを食べ始めた。
その食べっぷりはいっそ、清々しくもある。
「やっぱり、藍染さんが言うてはったんが一番ええかもしれませんな」
芋羊羹に齧り付きながら、思いついたとでもいうような顔で、市丸は唐突にそんなことを言った。
「何の話だい?」
「天国の話です」
芋羊羹の欠片を飲み込みながら、市丸は言った。
「今と似たり寄ったりなんが、なんだかんだで一番ええような気ぃしてきました」
「おいしい芋羊羹も食べられるし?」
「おいしい芋羊羹も食べられるし」
藍染の揶揄に、市丸は大真面目な顔で首肯した。
「まあ、今が天国だと言えること自体、幸せなんだと思うけれど」
「おいしい芋羊羹も食べられるし」
少しは真面目な話でもしようかとも思ったのだが、市丸は芋羊羹のことしか 頭にないようだったので、藍染は諦めて空を仰いだ。
「それに」
やがて、市丸が殊勝な表情を浮かべだしたと思ったら、単に芋羊羹の皿が空になっていただけであった。
「天国の上に天国があって、また、天国があって、とゆうんも、 なかなか壮大なロマンやと思います」
「そうして何度も死んで、生まれて、また死んでいく」
「巡り巡ってっちゅうわけですな。それにしても、磨り減らんのかな?僕らの魂は」
不思議そうに市丸は首をかしげた。
「磨り減るまで生死を行き来するというのも、なかなかおもしろいじゃないか。 果てない循環の中でゆっくりと死は僕らの魂を侵食し、いつか跡形も無く消えてしまう日が来るのだろう。 それが、何万年先の話かはわからないけれどね」
「壮大すぎて、眠うなってきましたわ」
市丸は大欠伸を漏らし、再び藍染の想像に水を差した。
まったくロマンとか行間とかニュアンスとかをまったく解しない男だ。藍染は思わず笑う。
「だったら、昼寝をすればいい。夕暮れになったら起こしてあげよう」
「ほな、そうさせてもらいます」
縁側にごろりと横になり、市丸は目を閉じた。
――8分20秒前に太陽から放射した熱は、彼にどんな夢をみせるのだろう?
満ち足りた表情を浮かべている市丸の顔を眺めているうちに、そんな想像がふと藍染の頭を過ぎった。
まあ、市丸のことだ、おそらくまた、とんでもなく現実的な夢をみて飛び起きるのだろう。
藍染は1人、くすくす笑って、空いた皿を片づけるために立ち上がった。









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