<孕ませ神殿>1 巫女長アドレナ・下

 

 

「――もう一杯、いかがですか?」

イリアさんが、僕のカップを見ながら声をかける。

「――あ、ああ。はい。お願いします」

カップに何か入っていれば飲むし、入っていなければ飲まない。どっちでもいい気分だった。

どっちでもいい、というよりは、なんだってもいい、という気持ち。

イリアさんは、そんな僕に何を言うわけでもなく、

お茶で割った薄い神酒を注ぎ直してくれた。

初夜の日に、アドレナさんがすすめてくれた飲み物。

でも、イリアさんが注いでくれたそれは、アドレナさんのそれとは違って、塩からい。

……いや、塩からいのは、イリアさんのせいではなくて──。

ああ。これは涙の味だ。

僕は、また泣いているのか。

最近はずっとそうだ。

アドレナさんがいなくなってから、ずっと。

 

神殿からアドレナさんの姿が消えた。

どこをどう探しても、誰もアドレナさんの行方を知らない。

誘拐か──、僕は、愛しい女(ひと)が消えたことに驚き、絶望し、

その姿を探して街の中を、ついで外を探した。

でも、アドレナさんは、僕のアドレナさんは、どこへ消えたのか、まったく消息がつかめなかった。

イリアさんや他の巫女たちも協力してくれたけど、結果は同じだった。

 

神殿は、新しい巫女長がその座に着いた。

いや、その新しい巫女長は、実はアドレナさんの前の代の巫女長で、

神殿での売春で妊娠したために、出産のために一年ほど神殿を離れていたのだ。

ものすごく美人で、妖艶な女性だけど、そんなことはどうでもいい。

それからの僕は、まったく腑抜けたようになってしまった。

まだこの街の流儀による<成人>を迎えていないのに、

僕は、もう他の女性と交わる気をすっかりなくしてしまっていた。

 

アドレナさん。

僕の前から消えた女性(ひと)は、僕の心の全てを奪っていってしまったようだった。

イリアさんをはじめとする、僕のために準備をしていた何人かの巫女たちも、

この間から他の客を取り始めるようになった。

イリアさんも、その豊かな胸の下にあるくびれたウエストには、もう腹帯をつけていない。

娘のカヤーヌさんも、先日初穂をあげたという話だった。

「……アドレナさんの行方は何かわかりましたか?」

「いえ。何も……」

この数ヶ月、もう何度も繰り返された質問。

神殿に来たのに、巫女とも寝ない僕に、イリアさんは辛抱強く付き合ってくれている。

「……坊ちゃま、もしよろしければ、また巫女の準備をいたしますが。

この間集めた巫女は、みなお客様を取り始めて、妊娠した者もおりますが、

二、三ヶ月時間をいただければ、同じ数の巫女をご用意できます」

「……いや、いいよ。――今月中に、僕は帝都に戻るから」

「……そうですか」

父の任期はまだ終わっていないが、僕はいったん帝国に戻ることにした。

アドレナさんが居ないこの街は、僕にとって哀しくつらいだけの場所であったし、

帝都にある<婚姻と出産の守護女神>の神殿から、

僕の婚約者の花嫁修業が終わったので、すみやかに結婚するようにという連絡が来たからだ。

──結婚にも、まだ見ぬ婚約者にも、何も興味もわかなかったが、

それは、帝国貴族としての義務であった。

むろん、何やかやの理由をつけて、半年や一年はそれを先延ばしすることはできたが、

僕はそうした気力さえもなくなっていた。

関心も喜びもないまま、流れに身をゆだねるくらいのことしかできそうになかった。

 

 

「では、<花嫁の間>へ──。あなたの妻になる女がお待ちかねですわ」

「そうですか」

<婚姻と出産の守護女神>の神殿の巫女は、帝国貴族の結婚式の世話人も勤める。

位階の高そうな、この年かさの巫女は、僕の結婚式の担当だ。

あんまり興味がないが。

ついでに、結婚式も、結婚そのものにも。

 

帝都に帰ると、とんとん拍子に僕の結婚が決まっていった。

相手──婚約者は、僕が三歳の頃から定まっている。

顔を見たこともない相手だけど、神殿、女神の膝元で育った彼女は、

僕の妻になるべく十数年を過ごしてきた女性だ。

<婚姻と出産の守護女神>の神殿は、教義を堅く守るために、夫にオーダーメイドの妻を作りあげる。

夫の事を知り尽くし、愛し、愛されることに何の疑いも持たない正妻は、堅固で強力な家庭を作り出し、

それは帝国の支配層にとってもっとも効率の良い信者の本拠地となる。

──だけど、僕は、その人を愛せるのだろうか。

僕の心の中には、灰色の砂漠が広がったままだった。

一生を連れ添う女性と、今日はじめて顔を合わせ、式を上げ、その後多分初夜を迎えるというのに、

僕はなんのときめきも感じていなかった。

年かさの巫女に促されて、僕はのろのろと立ち上がった。

長い廊下を歩き、<花嫁の間>の前まで来る。

扉に手をかけた巫女が、ふと、僕のほうを振り返った。

そして、意外なことばを言った。

「一つだけ、ご注意を。――貴方様の花嫁は、すでに処女ではございません。

左手の宝石は、すでに乙女の指輪の薄青ではございませんが、ご了承いただけるよう」

「……え?」

それは、ありえないことだった。

 

<婚姻と出産の守護女神>の信者の娘は、生涯、夫以外の男に身体を許すことはない。

貞節の守護者でもある女神は、数少ない男が妻以外の女性と交わることについては、

「正妻をないがしろにしない範囲において」目をつぶるようになったが、

女性に対しては太古と同じく、徹底した貞操を求めている。

帝国貴族の子女は、どんな理由があっても夫以外の男と性交する状況に陥ったならば、

その場で自決するように育てられている。

いや、誰も見たことがないが、その時、<乙女の指輪>はどす黒い色に染まって

その娘を死に導くとさえ噂されている。

それが──。

(いったい、誰と……)

巫女に聞きかけて、僕は口を閉ざした。

どうでもいい、と思い直したからだ。

僕は、僕の妻になる女性のことを知らない。

いや、帝国貴族なら、ほとんどの男がそうだろう。

<婚姻と出産の守護女神>の信者の結婚は、神殿が秘術をもって占い、定める。

花婿と花嫁がもっとも幸せに、かつ子宝にめぐまれる組み合わせを定め、

それに向かって全てを構築していく。

僕の婚約者が、男性経験がある女性というのなら、それは、きっと意味があるのだろう。

──女神にとっては。

──僕にとっては、どうでもいいことだった。

誰が僕の妻になろうが、その女性が他の男に抱かれた身であろうが、それにどういういきさつがあろうが、

それは、今の僕にとっては世の中全てのことと同様に、灰色に色あせたつまらないできごとに過ぎない。

砂のように乾いてざらついた心が、僕の表情を無にさせる。

「行きましょうか」

心と同じく乾ききった声で、巫女をうながした。

巫女は、驚きも抗議もしない僕を見て、ちょっとたじろいだ風だったが、

うなずいて花嫁の控えの間に僕をいざなった。

「こちらへ。――貴方様の、花嫁でございます」

扉がゆっくりとひらかれた瞬間、僕は絶句した。

 

──扉の向こう、控えの間に、僕が良く知っている女性がいた。

「……あ、アドレナ……さんっ!?」

裏返った僕の声の向こうで、僕の花嫁──僕のために<婚姻と出産の守護女神>が

世界でたった一人だけ選んでおいてくれた女(ひと)が微笑んだ。

その左手には、僕が真紅にさせた指輪が光っている。

「ご紹介します。こちらは今日までは<婚姻と出産の守護女神>の巫女、

これからは貴方様の妻となる女、アドレナ。……そして、そのお腹の中にいる貴方様のご長男です」

「――!!」

アドレナさんは、巫女の衣装ではなく、帝国の様式にのっとった花嫁装束を纏っていた。

そして、そのお腹は豊かに盛り上がっていて──。

「ぼ、僕の子!?」

「……貴方様以外に、貴方様の妻となる女を孕ませることができる殿方がおりましょうや?

……それとも、身に覚えがない、とでも?」

「い、いや、――あるっ! あるよっ!」

僕を案内してきた巫女はじろりと僕を睨んだが、その瞳は笑いを含んでいるようだった。

「……女神様のご神託があったのです。

もちろん、わたくしのお仕えする女神である<婚姻と出産の守護女神>様のほうの──。

私が、かの街で<大地の母神>様の手を借りて、かの女神の巫女としてあなたに春をひさぎ、

「はじめてから百回目までの精」をすべて受け続ければ、きっと男の子を授かることができる、と」

口をぱくぱくさせている僕の後ろから、扉をしめた巫女が説明を引き取った。

どうやらこの巫女も、この「陰謀」に加わっていた人だったらしい。

「――ただし、その行為の途中で、決してそれを未来の夫に悟られてはならない。

巫女アドレナが貴方様に婚約者と知られてはこの予言は無効となる、

あくまでも<大地の母神>の巫女として交わらなければならない、とも。

ですから、準備にはなかなかに骨を折らされましたわ。

さいわい、かの神殿では巫女長が出産のために里帰りをするということでしたので、

その代わりにアドレナをその後任に据える手が打てましたが。

──神殿の巫女長なら、執政官の息子と自然に接点を持つことが出来ますし、

貴方様が女と交わることが準備できたことの情報も、いち早く手に入れることが出来ました」

 

「あなたを騙すのは、とてもとても心が痛みました。――ああ、あなたと顔を合わすたび、

私があなたの婚約者、未来の妻となる女とどれだけ伝えたかったことか!

でも、そうしたら、女神様のご神託は破れ、この子を授かることができませんでした」

アドレナさんは、愛おしげに自分のお腹をなでた。

「巫女アドレナが貴方様の前から消えたのは、このお子様を守るため。

着床から数ヶ月の間、男子を堕胎させようとする邪神たちの呪いから小さな胎児を守る秘術は、

<婚姻と出産の守護女神>のこの神殿の奥深くに存在いたします。

彼女は、我々数人の巫女を除いては誰にも知られることなく、呪いの目からも逃れて

この数ヶ月をこの神殿の地下の聖なる結界の中ですごしました。

時がたち、もはやいかなる呪いも効かぬほどにお子様がしっかりと彼女の子宮に根付いた今、

晴れて巫女アドレナは、あなたの前に姿を現すことができるようになったのです」

巫女は、呆然としている僕を、笑いを含んだ視線で眺めながら説明をしていった。

「イリアさんたちには、悪いことをしました。

<帝国>の威光を借りたごり押しで、短期間とはいえ、

巫女長の座を他教の巫女がつとめるなど、

<大地の母神>の巫女にとっては屈辱の極みだったでしょうが……。

けれども、いろいろありましたが、最後にお別れするときは、

「良い子を産むように」と祝福してもらいましたわ」

「そのことについては、気にやむことはありませんよ。

ご協力いただいた<大地の母神>の神殿には

わが神殿から借りを返しておくことにいたしておりますから。

もちろん、利子をたっぷりとつけて。

──わが教徒の男の子が一人、

この世に生まれてくることに比べたら、どれだけの代価も惜しくはありません」

そうした説明は、僕の耳の中でぐるぐるまわっていて、ちっとも頭の中まで入ってこなかった。

僕はひとつひとつ理解するのをあきらめて、一番大切なことにだけに関心を絞った。

大股でアドレナさんに近づく。

大きなお腹をした僕の奥さんのもとに。

あのなかに、僕とアドレナさんの大事な子供がいる。

僕の心臓はどきどきと高鳴った。

「あの……、僕も、触ってもいい? その……アドレナさんのお腹」

アドレナさんは、微笑んでうなずいた。

「もちろんですわ。お父様の手で、わが子を確かめてくださいまし」

 

花嫁装束の純白の布地越しでも、アドレナさんの体温のあたたかさと、胎児のしっかりとした心音は伝わってきた。

僕の子供!! それも男の子!!

邪神たちの呪いのせいで、女子の百分の一の確立でしか身ごもれない男子は、

世界にとって、それはそれは貴重な存在だった。

女神や神殿はさまざまな予見や秘術をもって、なんとかその確立を増やそうとしている。

そして、運よくその神託を授かった人間は、万難を廃してそれを実現させようとする。

<婚姻と出産の守護女神>の巫女が、女神から神託を授かったのなら、

他の女神の手を借りたり、その神殿に短期間信者の振りをしてもぐりこむくらいのことは許される。

性交の相手は未来の夫であり、妊娠するのはその正規の子供なのだから、なんらやましいことはない。

他神殿に形だけ仕えることや、婚前交渉については、女神自身からの神託があるのだから、

神殿もその遂行を全面的に協力はしても、それを責め立てるようなことは金輪際ありえない。

アドレナさんは、それを実行したのだ。

感動と、興奮が僕を包み込んだ。

僕とアドレナさんは、二人の女神の流儀にのっとって、立派な大人であることを証明したのだ。

アドレナさん。

視線をあわせて微笑み合うだけで、僕の心にあたたかいものが流れ、――そして身体は燃え立った。

──困ったことに、僕のあそこは、こんなときだというのにカチカチに膨れ上がってしまった。

アドレナさんがいなくなったこの数ヶ月、射精はおろか勃起さえ一度もしなかった男根が、

あの日々のように猛烈な精気をまとって復活した。

僕は花婿衣装の前を押さえた。結婚式をつかさどる巫女がこほんと咳払いをしたので、僕は真っ赤になる。

「……貴方様たちに、みっつほど伝えておくことがございます。

――ひとつ、出産後はもちろん次の子を授かるよう何度でも交わるべきですが、

妊娠中の今は性器での交わりは控えるよう。

──ふたつ、そうした時に神殿は口腔性交をすすめております。

殿方の精液は良質の栄養、お腹の子の身体を丈夫にできて一石二鳥。

──みっつ、花婿花嫁の入場まであと四半時(30分)ほど。

その間に済ませることは済ましておいてください」

言うや否や部屋から出て扉を閉めた巫女のことばを反芻して、僕たち夫婦は真っ赤になった。

そして巫女がすすめたように、衣装を汚さないように注意しながら、

僕たちは久しぶりにお互いを愛撫した。

 

アドレナさんは、僕のズボンを手早く脱がした。

出合ったときはぎこちなかったその動作は、今では僕自身と同じくらいに慣れている。

ぶるん、と飛び出た僕の性器は、アドレナさんの視線を感じて、さらに堅く天をさした。

「まあ……お元気ですのね……」

アドレナさんは頬を染めてつぶやくと、すぐに唇を這わせた。

妻になる女(ひと)の舌と唇での愛撫は、丁寧で情熱的で、

数ヶ月も精を放っていなかった僕はすぐに絶頂に達した。

「……んんっ…んっ……」

目を細めたアドレナさんは、唇を離さない。

僕の精液は、一滴もこぼされることなく、アドレナさんの口の中に放たれた。

「……んふぅっ……」

こくん、と小さな音を立てて、アドレナさんが僕の精液を嚥下した。

「うふふ、久しぶりの、あなたの味です……」

指先で唇をぬぐい、それもつつましい挙措で舐め取りながら、アドレナさんは微笑んだ。

その姿は、神殿での交わったときとは少し違った様子で──もっと魅力的だった。

恋人から、夫婦へ。

子供を宿し、成熟しつつあるアドレナさんに、僕はさらに魅了された。

「アドレナさんっ……」

僕は、妻を立たせると、そのドレスの中にもぐりこんだ。

「あ……あ、あなたぁ……そこは……」

「今度は、君が気持ちよくなる番っ……!」

ドレスの下の下着を剥ぎ取った僕は、アドレナさんの女性器に舌を這わせた。

アドレナさんは、僕の頭をドレス越しに抱えながら、すぐに絶頂に達した。

 

それから僕たちは、お互いを五回ずつ愛撫しあい、

結局、僕の結婚式は、予定より半時(一時間)も遅れた。

 

「おめでとう」

「おめでとう」

皆に祝福と懐妊の驚きと喜びの声をもらいながら、僕は、

やっぱり<婚姻と出産の守護女神>は僕にとって最高の女性を妻として選んでいたんだ、と確信していた。

アドレナさんは、ついこのあいだまで処女の身だったけど、

僕の前で<大地の母神>の巫女長を演じるために、いろいろな性的知識は学んでいた。

そして、僕は、どちらかというとベッドの中では女性にリードされるのが好みの性癖だったらしい。

さきほどのフェラチオの素晴らしさに、僕は、

妊娠中もこの女性を思いっきりむさぼることが出来ることに気が付いて、どきどきした。

アドレナさんも同じ思いだったらしい。

他の人に悟られぬよう──いや、ばればれだったかもしれないが──、

熱い視線をからませた夫婦の、二回目の初夜も熱いものになりそうだった。

 

 

(FIN)

 

 

 

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