<下半身だけお姉ちゃん>

 

 

「<下半身だけお姉ちゃん>ってトラウマ級に恐いよな……」

僕はかぶりついていたスイカから口を離して、ぽつりと呟いた。

 

<下半身だけお姉ちゃん>。

それは、「なつやすみ」をモチーフにした名作ゲームの、有名な裏技だ。

バグを利用して、「8月32日」を出現させると、画面はどんどんバグりながら続き、

ついには、<上半身だけ叔父さん>とか、<下半身だけお姉ちゃん>が出てくるという。

のんびりと元気な、夏休みの空気だけはそのままなだけに、

あまりのシュールさにオカルトファンすら注目したという禁断のバグ技だ。

 

「なーに神妙な声出してるのさ、彰。ゲームの話でしょ、ゲーム」

対面でこちらも豪快にスイカにかぶりついている陽子は、あのゲームをやったことはない。

都会育ちの僕と違って、陽子はああいうことは実生活でいやと言うほど経験しているから、

カタルシスをモニターの中に求める必要はない。

だが、僕が言っている<恐いこと>は、あのゲームのことじゃない。

「……忘れたのか、あれを……」

「……え?」

「あの時も、こうやってスイカ食ってたとこから始まったんだよな……」

スイカを食べる手を止め、訝しげに僕を見つめた陽子の顔が、見る見るこわばった。

思い出したのだ──陽子も。

<下半身だけお姉ちゃん>の、恐ろしい記憶を……。

 

─。

──。

──―。

あれは、僕らが小学校に上がる前の話。

その日、僕たちは、オヤツに出たスイカを食べながら、真剣に議論していた。

「スイカのタネを飲み込みすぎると、盲腸になるんだよ!」

「嘘だい、そんなの迷信だってば!」

僕の主張する<スイカのタネが盲腸の原因>説を、陽子は頑として受け入れなかった。

小さなときからせっかちで、スイカやメロンなどは、

けっこう種ごと飲み込んでしまう陽子にしてみれば、それは認められないものだったのだろう。

だけど、僕の通う幼稚園で信じられていた噂を否定するには僕は幼すぎたので、

僕と陽子は、食べかけのスイカを前に喧々諤々の議論をする羽目になった。

「――じゃあ、陽子は、スイカのタネを飲み込んだらどうなるって言うんだよ?」

僕は、陽子をにらみつけた。

陽子は、済ました顔で言った。

あの恐怖の「始まり」となった一言を。

「――決まってるさ、スイカのタネを飲み込むと、あそこの毛になるんだい!」

「うっそだー!」

僕は大声で反論したが、陽子は固い信念をもって譲らなかった。

「スイカのタネって黒いだろ。飲み込みすぎると、あそこの皮膚の下にたまって黒い芽を出すんだ」

筋が通っているようで、通っていない説明は、

だがしかし、幼稚園児には不思議な説得力があった。

それでも僕は、都会っ子の誇りにかけて自説を曲げず、陽子に「証拠」を求めた。

「え? えーと、えーと……、あっ、あるよ! 証拠っ!」

陽子は、隣の部屋でお昼寝をしている美月ねえを指差した。

 

中学生の美月ねえは、幼稚園の僕らと違って、まだ学校がある時期だった。

下校してきて、僕らのオヤツにスイカを切ってくれた美月ねえは、たぶんとっても疲れていたのだと思う。

普段はすぐに和服に着替えるのだけど、この日は、制服のままタオルケットをかぶって隣の部屋でお昼寝をしていたのだ。

「――美月ねえって、そそっかしいから、けっこうスイカのタネ、飲み込んじゃってるよね?」

「……うん」

僕は不承ぶしょう、うなずいた。

確かに美月ねえは、意外にぶきっちょで、先割れスプーンでタネをほじくり返せず、

果肉といっしょに頬張ったスイカのタネを、後からこっそり吐き出そうとしたり、

口の中をもぐもぐさせていたと思ったら、ふと眉をひそめて、

「あらら、飲んじゃった……」

と呟いているのを、何度も見たことがある。

「……美月ねえ、あそこに毛が生え始めてるんだ。

こないだお風呂で見たけど、――肌の下にスイカのタネが埋まっているよ」

陽子は、自信たっぷりに言った。

──それほど言うのなら、確認してみよう。

──美月ねえの、毛が生えかけたというあそこの様子を見て。

……天地にかけて誓うが、僕はその時、決していやらしい意図などなかった。

陽子に言い負けまいとする意地と、純粋な好奇心が、同意を選ばせた。

「んーと、スカート、邪魔だね」

「まくっちゃうの?」

「うーん……こうしたほうがいいかな?」

陽子は、すうすう寝息を立てている美月ねえ(一たん寝入ったら、美月ねえは耳元で怒鳴ったって起きない)に近づくと、

スカートを上手い具合にひっぱってまくりあげ、美月ねえの頭の上のほうで端っこを縛った。

俗に言う「茶巾縛り」という形にしたのだ。

「いい、パンツ下ろすよ。彰はそっち側を引っ張って……」

「うん……」

陽子は、美月ねえの白い下着に手をかけて言った。

たくし上げたスカートが、美月ねえの顔を隠しているせいか、

不思議と罪悪感とかは感じなかった。

好奇心の塊と化した幼稚園児二人は、純白のショーツを引っ張って……。

一瞬だけ、白い肌と、黒いもやもやが見えたような気がして──

「――きゃあ、何、何、これっ!?」

美月ねえが金切り声を上げて飛び起きた。

「うわあっ!」

びっくりして飛び下がった僕たちの前で、

白いお腹と、白い下着と、白い足から成る不思議な生物が、もがきながら立ち上がった。

上半身──紺色のセーラー服のスカートに包まれている──は、

電気を消した薄暗い部屋の空気に溶け込んで見えない。

──白くて、美しい、下半身だけのお化け──。

「そ、その声は彰ちゃんと、陽子ね! なんてことするの!」

「うわわ、美月ねえ、怒ってる!!」

陽子が、真っ青になった。

むろん、僕も。

美月ねえはすごく優しくて、めったに怒らない人だけど、それだけに怒るとものすごく恐い。

そして今、「茶巾縛り」の向こう側で、美月ねえは、激怒していた。

「に、逃げろーっ!!」

陽子が不意に走り出した。

「あ、待って──」

僕も逃げ出す。

「ちょっと、これ、ほどいて……」

怒りながら美月ねえが追いかけてくる。

今にしてみれば、スカートは夏服のセーラー服のものだったから、

美月ねえは布地越しにある程度の影や動くものは見えていたということなのだろうが、

怯えきった僕たちには、目が見えない怪物が不思議な力で追ってくる様に思えた。

「うわあああああーーーー」

──僕たちは混乱しきったまま逃げ回り、

──やがて自力で「茶巾縛り」から脱出した美月ねえに捕まった。

「あ・き・ら・ちゃ〜ん?」

「ひいいいいーーーーっ!」

「よ・お・こ〜?」

「ひええええーーーーっ!」

「お・い・た・が・す・ぎ・た・わ・ね〜〜っ?!」

スカートの向こうから現れた、

「にこやかに笑いながらこめかみをひくつかせてる美月ねえ」は、

その前の「下半身だけで追いかけてくる美月ねえ」とともに、しばらく僕たちのトラウマだった。

 

「……思い出した……」

陽子が、食べかけのスイカ──そのタネを見ながら青ざめた。

「うぷ……」

スイカを見ながら、僕は、こみ上げる恐怖の記憶をやっとの思いで飲み込んだ。

二人はそうして、赤いスイカと青い顔を、お互い見比べていたけど、

やがて二人して苦笑いを浮かべた。

──それからひとしきり、楽しい昔話をして、残ったスイカを平らげ、台所に片付けようとしたとき、

陽子が、ぽつりっと言ったんだ。

 

「……ねえ、彰……。彰は、もうあそこに毛が生えた?」

「え……、ああ、ま、まあ一応……」

「私も……。ね、ちょっと見せっこしてみない?

二人が飲み込んじゃったスイカのタネがどれくらい成長したかって……」

「ええええええっ!?」

 

 

 

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